パソコン用と読書用近眼眼鏡作り替え 眼も命
武田尾の紅葉は今が盛り?そんな報道で慌てて出掛けたが?それにしても我が街の間抜けな地域起こしのポスター?このオバカな市長と市の幹部達は何を考えているのだろう?怪獣映画風ムービー。この間抜けな出演者達。この制作費1000万円。国の援助でこんな間抜けなオチャラケ。
池田市の観光名所をぶっ壊す。この程度の地域起こししか出来ない間抜けなやろう。これが全国共通の街おこし?地域活性化?地域創生とはその程度に思われている。武田尾も為す術が無い。笑い事では済まされないがその程度の事でも関西のTVにはニュースになる。恥知らずとはこんな奴らだろう。
春を待つ八重枝垂桜。まだ若木だが今年の素晴らしい八重桜を楽しませてくれた。来年の事は分からないが育つ、育てると言う事はそう言う事に違いない。この若木は自然に育ったのでは無い。ここに移植した人が居る。造幣局の通り抜けの桜に負けない大きさになる時には、親父達は生きていない。
そんな事も関係ないのだろう。この写真も素晴らしい。細い細かい枝が人間の毛細血管に見える。ウンニャ(いいえ)人間の血管はもっと細くて細かい。そんな事を自覚しないで生きている高齢者には未来は無い。棺桶が待ち構えている。その程度の事も自覚出来ない。人の事はどうでも良い。
眼。鼻。耳。歯。健康な生き方は健康食品ではなく毎日の生き方、考え方、読書の力である事を新しい眼鏡で痛感するに違いない。このパソコン様の眼鏡。良好。阿吽の呼吸で言葉が交わせるお友達を多くしないといけない。どうして?それが生きる証だと思っているから。不愉快な奴とは言葉を交わしたく無い。それはお互い様。だな。
このトンネルは短いので懐中電灯無しでも歩ける。しかし足元は枕木が飛び飛びに朽ちているので足元を照らして歩く方が心地好い。この天井はフラッシュで明るくしないとこれ程明るく取れない。毎日の暮らしも全く同じだな。見えない物を見るには明るさが必要。足元を照らすのも灯りが必要。その灯りを手にしないで豊かな(経済的、精神的、人間的)暮らしが出来る訳が無い。確かに。
このトンネルを抜けると本日の目的地。桜の園「亦楽山荘」最初この漢字読めなかったが(えきらく)と読む。名付け親は桜の博士と呼ばれた笹部新太郎。この桜の博士の名前は現在殆ど知られていないが偉大な先人。文化勲章を多くの人が首に下げて記念撮影をしているが本当の文化勲章に値する人はどれだけいるのだろう?
今は紅葉のシーズンだが笹部新太郎がこの山で行った山桜の品種改良は、今は行われていない。笹部新太郎がこの山の管理を任せた桜の育樹の森の管理人のドラマは水上勉が物語を小説にしている。水上勉が描けなかった笹部新太郎の生涯は、この山の桜の育樹に心血を注いだ男とその女房のドラマとして感動の物語がある。
「桜守」是非お薦めです。この小説を読めばこの国の軍国主義、天皇主権、そして国家権力の愚かさが本当に良く分かる。山桜の大樹は今でも残っているがエドヒガン桜を除いて樹の勢いが無くなっている。余りに背丈が伸びてしまったのでその勢いは失っている。
この坂の登りはきつい。体調が良く無いと息が切れる。この散歩道はボランティアが管理しているがそれだけでは整備は追いつかない。その対策はこの公園を管轄している(管理はボランティアに丸投げ)宝塚市が人とお金(予算)を用意しなければならないがその兆しは全く無い。
ボランティアの人達は頑張って居るがそれだけでは如何ともし難い。そんな問題意識も無い。何もしないで意見を言うな?そうかもしれない。自分のペースで楽しめば良いのだろう?ボランティアの人達も高齢者が多くなっている。自分達に出来無い事がある。そんな認識は無い。彼等も又、出来る事しか出来ないのだろう。今年の紅葉見物はこれが最後になるのかな?
このデカイ山桜も余命は長く無い。それは樹の肌を見れば良く分かる。先日、満願寺から多田神社に向かう道の整備をしていたオバちゃんに女性の歳を聞くなと笑いながら言われたが本当の事を言えば見れば分る。それは山桜も同じ。そう考えて見ると御母衣ダムの湖上の荘川桜は凄すぎる。この桜を2本束ねた様な幹の桜が2本。湖底に沈む桜を引き上げの指導をしたのも博士だった。
桜の樹にはドラマが多すぎる。太平洋から日本海迄桜並木を実現させようとした旧国鉄車掌だった佐藤さんの想いは岐阜県ひるがの高原から富山県荘川の御母衣ダムに行かないと分からない。そのダムはロックフィルのダムサイト。そのダムが昨日行った安威川ダムで見る事が出来る。何たる喜びだろう。
この山桜の大木も春になると高い枝先に淡い白い花を咲かせてくれる。最初見た時には正直がっかりしたが、吉野の山桜とは違う風格を見せていた。その大木も多くがその使命終えて。それでもこの大木が見せてくれる春の景色は多くの関西人に知られていた。この坂は7〜80メートルをつづら折りに一気に登る。今日は息を切らす事は無かった。それはペースがゆっくりだったからに違いない。
この先でエドヒガン桜5人娘?を見る事が出来る。彼女達はまだまだ元気。人間で言うと等に(とうに)キンさんギンさん?100歳は越えている?そんな事を言うと又叱られる?しかし年を重ねると言う事はそんなに恥じる事は無い。問題はどんな生き方をしてどんな肌艶をしているかだろう?コラ。
この先は登りも緩やかになる。素晴らしい紅葉が見れる。残念ながら見頃はまだ1週間から10日先。それでもカメラアングルでカバーした傑作がこれだ。独り占めの景色は遠慮勝ちだったが、それはそれで又違う味わいを感じる事が出来る。
大した事は無い?それではこれではどうだ。これだけの紅葉は自然の山の中では中々見れない。今年は京都の隠れた紅葉の見所の撮影を考えているが、それと比べられると劣るのは仕方が無い。ベンチに腰を降ろして静かな時を過ごしていた。
この先関係者以外立ち入り禁止の谷を渡る。谷に下りる道と谷に掛かる橋が流されている。関係者以外はこの谷は渡れない。この公園を管理するボランティアの人達の力では如何ともし難い。ただ折角の散策の道が何年も前から関係者以外は通れない。親父は関係者では無いが自己責任で通っている。コラ。その道は又明日。
| 固定リンク
















































コメント