久々の妙見山 息絶え絶えのハイキングコースを登る
ここは能勢電妙見口の阪急バス停。ただし運行は土日祝日のみ。平日はここからケーブル下迄ゆっくり歩いて20分。ここは日本一の里山とか言われているがバスが土日祝日のみとはどういう事。そう言う事。地方の賑わいはその程度?それともマイカーで何も不自由はない?
行政の地域活性化担当部署が文化部?観光客中心の地域活性化?地に足の着いた地域開発とは程遠い。それでも地元の人達は高齢化して棺桶が待っている。地域の活性化とは程遠い。そんな報道も出来ない公共放送とオチャラケの宣伝で何も困らない民放。
いずれこの地域に人の気配が平日は無くなる。観光客相手では村起こしが出来無い事も地域の人達も知らない。このケーブルの歴史も古い。それでもこれから寒くなるとお正月のお参り迄長い冬眠生活に入る。親父は日曜日に来たのは始めて。ケーブルに乗らずハイキングコースを登る。最初の勢いは最後失せる。
ケーブルを下から見上げて横道を歩き始める。素晴らしい景色を眼にして喜んだのは束の間だった。上から降りて来る人も多い。そう感じたのは登り口だけだった。途中から道は一気に厳しくなる。笑っていたのは最初だけだった。段々顔が厳しくなる。この登りは600メートル。その厳しさを知ったのはそんなに先ではなかった。
今は水が流れていないがここは川。橋が掛かっていない。この川が黒川地域を流れて一庫ダムに流れ込む1つの小川。それでも何で干上がっているのだろう?何とも嫌な予感がする。それでもこの道は昔から多くの人が通っていた妙見山参杯の道。ところが☂が降ると行く手を妨げられる。
中山観音奥の院参拝ルートの足洗ルートと同じ。雨が降ればケーブルの右側の道が参杯の正式ルートになったのかも。しかしこの妙見山の参拝者は近代になって激変する。それは武士の世の終りと同じ定めを歩かされたから。日蓮宗の信徒からも縁を切られたかもしれない。
関西の日蓮宗徒のお参りも絶えて久しい?それも違うかもしれない。ただ昔の信者の数はこんなもんでは無かったに違いない。それも知る術も無い。この先一人で黙々と歩く。ただこの尾根を登り詰める迄は何とか歩けていた。息が切れる様になったのはその先。血液が必死に脈拍を上げていた。息絶え絶えとはこの事かいと苦笑していた。
この程度の道が続いていると思っていたらとんでもない。昔の人は信仰の為とは言えよくこんな足元の悪い道を歩いたもんだと思っていたがトンデモナイ。これは序の口だった。この先は道なき道。☂が降ったら歩けない。いずれこの道もアドベンチャールートになる。そう感じていた。
それでも水は流れている。この水は何処から流れ出て何処を流れ下っているのだろう?それは大雨の時に来れば分かる。もっともその時にはここ迄来る事は出来ない。黒川とはそこから名付けられている。まさか。ハイキングコースはこの左の道を登っている。雨が降ったらここ迄登って来れない。この先、本格的な登りになる。
道は段々厳しくなるが道案内はしっかりしているし足元もそんなに悪くない。そう思っていた。ところがどっこい。そんなに甘くない。この道を歩いていた妙見山お参りの江戸時代の人達はどんな思いでこの道を歩いていたのだろう?いずれこの道を歩くジジババは居なくなる。間違い無い。そこが中山の観音様と違う所?それも違うだろう?元気な高齢者は例外を除いて少なくなる。間違い無い。その事を思い知る。
なんじゃこれ。大雨が降るとこの道は完全に通れなくなる。その事を昔の人は知っていた?現在人もその事は知っている。知らないのはアンタだけ。そう言われても笑っていた。2度とこのコースを歩く事は無い。あるとしたら黒川の住民になった時?それは絶対にない?そうかな。意外にこの地が終の住処になるかもしれない?武田尾より面白いかもしれない。この先にもっと面白い景色が見れる?
クヌギの木と言われても知らないオバカも少なくない。死ぬ思いをしてこのハイキングコースを登り切り帰りのケーブルの切符売り場で騒いでいたガキに注意をした一人が、親父の廻りを顔を突き出しながらうろつく。良くあるパターン。拳を手の平(ひら)に打ち付けながら親父の反応をうかがう。相手にしなかった。
あのガキもその程度の生き方しか出来ない。人から注意をされて反撃をしたいなら何時でも相手になってやる。そんな反応を示せば叩きのめされていた。反対だろう。そんな事を教えられていた。このクヌギの丘はその事を教えていた。クヌギの木は立派な炭になる。
その炭が赤々と燃え盛る時どれだけの力を出すのか、その頃を教えてやるには無視するのが1番だった。ただ口は災いの元とは思わない。間抜けな奴にはそれを思い知らせてやらないといけない。ただ山に来る奴以外にそんな事を言ってはならない。何をされるか分からない。格闘技もこの歳になると衰えるばかり?まだまだ。
その炭焼きも炭の価値が失せ後継者が居なくなる。炭焼きで飯が食えなくなってもこのクヌギの杜はこうして保全される。それが日本一の里山の条件?アホコケ。里山の条件はこの豊かな里山の価値が後世に引き継がれる事。その程度の事が地域の人にも理解をされない。日本の山が荒れ果てている。その程度の事を都会人は全く知らない。この豊かな自然が崩壊すればどんな未来が待っているのか?そんな事は気にもしていない。日本の山の崩壊は全く知られていない。そんな報道は全く無い。
この谷を登る。雨が降ると激流が流れ下る。雨の量で登り下りをしていたのだろうか?そんな事はしていない。昔の人は賢かった。そうではない。自然の力には為す術が無かった。雨が降っても関係ないルートを見つけていた。その道は本当の意味で妙見山の登山ルートだった。ただその道も楽ではない。雨が降ると山に登る事を諦めていたのだろう?それ程に人々は山の偉大さを知っていたに違いない。
ひどい道に見えるがここも多くの人の足跡が刻まれている。実際は多くの足跡が流されているがそれでもこの道を昇り降りする人の足跡(そくせき)は絶えていない。大雨の度に多くの石は流され、その雨が止むと水嵩(みずかさ)も減り石も止まる。その石を踏みしめながら上を目指す。この時は完全に息も絶え絶えになっていた。(全然)
この道で間違い無い事を矢印が示している。この杉の木が流されないのはこの谷を激流が流れ下る事は無い事を照明しているのだろうか?それとも尾根はそう遠くない?尾根が遠くなければ水の流れが緩やかになる?杉の木に傷は付いていなかった。
ところが道は更に厳しくなる。ロープが垂らされているがロープはバランスの補助だけ。体のバランスを崩すとこける。こけただけでは大丈夫だか下の谷に落ちると簡単に上がれない。ただこの場所も難なく通過。体のバランスを崩して穴に落ちたのはこの先だった。後から来るカップルに道を譲ろうとして穴に落ちる。幸い樹の朽ちた穴で深くはなかった。カップルに見られる事も無かった。
ようやく尾根が近くなる。尾根の近くの杉山は無惨な姿を晒していた。前のブログに書いた事があるが、今、日本各地の杉山で手入れが行き届かずに木の倒木が放置されている。この杉の木は植林が行き届かず台風の強風でなぎ倒されている。杉の木の価格が暴落しているだけでなく森林管理がこの様を晒している。それでも殆どの都会の住民はこの現実を知らない。と言う事はどうなるの?その程度の事も分かりません。
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