今日は☂模様 箕面谷の紅葉も生憎の雨 どうしょう?
そんな事はどうでも良い?確かに。それでも綺麗な紅葉の写真は太陽光線が一番。その事は親父の様なブログのオマケの写真でも良く分かる。基本的にプロのカメラマンも同じ事を考えている。風景写真もTVのカメラの動画でも全ての情報はカメラマンとその報道関係者の思惑で左右されている?
公正で何者にも左右されない報道?そんな時代は既に消滅?そうでは無くて最初からなかった事を多くの人は知らない。その事を最近痛感する。一番大切な事。それは自分の感性でその報道の事実を読み解く?難しい事だね。安倍総理が他の総理よりマシ?その程度の国民にその程度の政治しか期待出来ない?
そうでは無くてその程度の現実が世の中の常識?それは間違いない。それにしても今の国会の最大の争点は外国人労働者の受け入れ整備?そんな事もどうでも良いと思っていたが、多くの日本人は浜松の成功事例、失敗事例を知らない。親父も知らない。
ただ言葉も生活習慣も考え方も違う人達とどう共に支えあうのか?その事を知る術を公共放送でも教えては呉れない。浜松に行きますか?その前に行政に聞いて見れば良く分かる?それは無理だな?そんな気がする。行政もその問題に頭を抱えている?教えて?無理だな。役人の考え方は本当に単純かも。
武田尾の堤防かさ上げ工事は左側がまだ残っている。その部分の工事がこれから始まる。その為の大型クレーンの通行仮道路を川の中に作っている。今は川の水が少ないが実際は左側を掘り下げて水は流れている。そこをこれから塞き止める。そうなるとこの強化プラスチックの導水路の中を水は流れる。凄いもんだね。いずれその写真も見せられる。
ここから見れば残されている堤防のかさ上げ工事とその上の道の高さが良く分かる。この道は武田尾温泉に進む道だが地元の土木事務所の見解では(公道では無い)公道で無ければ市道?でも無い。私の私道?私とは武田尾温泉組合の道?それともこの堤防で用地と旅館を取壊された1旅館の持ち物?
それはおかしいだろう?この工事をする以上はそんな事は言えない。そう思っているのは親父だけ?この行政区域は西宮市。ところがこの行政にそんな判断は出来ない?そんな事は無いだろう。この看板を見てもそんな事は分からない?工事の許可は誰が出しているのか?
分からない?そんな馬鹿な事は無い。この工事の責任者は兵庫県阪神北県民局宝塚土木事務所長。もう一度聞いてみますか?そんな事はどうでも良い?第一この工事を殆どの関西人は知らない。公共放送も殆ど報道をしない。しかしよく考えて見ると誰が誰の為にこの工事をするのか?
そして一番大事なこの工事費はは誰が支払うのか?そんな事もどうでも良い国民。何たる無様な国だろう?そのしわ寄せを受ける将来の子供達に我々はどんな言葉を口に出来るのだろう?そんな事も全く関係ないと思われている。高齢者社会?その時代を無様にしか生きれない事を殆どの人が全く知らない。
そうならない為にどう生きるか?そんな事もどうでも良いと思われている。
この素晴らしい武田尾の自然は何も変わらない。武田尾の源泉も今は元湯温泉で日帰り温泉として1000円で土日祝日のみ利用されているだけ。この素晴らしい工事現場も来年の秋には終了している。その時どれだけの人がここを訪れるのだろう?
そしてどんな思いをするのだろう?そんな事は殆ど考えられていない。親父もどんな思いでこの場所に佇んで(たたずんで)いるのだろう?せめて公園と足湯ぐらいは作りたい。しかしそれでも10億円は要る?中国人のスポンサーを見つけないと駄目だな。
金満の成金を見つけても無理だな?あほ。自分でやりなさい。終の住処も規制が多くて行政は首を縦には振らないだろう。それでも夢は必ず実現する。そんな生き方をしないといけない。そんな事は全く考えていなかった。しかし、この素晴らしい自然は知らないだけ。
知ればジジババの息抜きが出来るに違いない。温泉の源泉の権利は誰が手にしているのだろう?ここには上下水道の市の施設が無い。その整備もしないといけない。楽しみだな?アホ。年寄りだけでなく多くの精神と体が病んだ人のゴールデンクロスが手に出来る。そんな夢物語を政治家も経済界も語れない。
こちらは高級宿泊の宿?ちょっとしたリゾートの宿。こちらは貧乏人(失礼)はお呼びで無い。各部屋が完全に分かれている。隠れ宿?そんな感じはしないが宿泊だけでなく贅沢な山の幸が用意されているので二人で最低ウン万円。それだけの価値が無ければリピーターは付かない。世の中その程度の生き方をしている人も少なく無い。
武田尾の紅葉は渓谷の広葉樹が少なくて見所は多く無い。それでも関西の隠れ宿として関西の著名人に親しまれた風景は何も変わっていない。最近は京都の紅葉にも全く興味が無くなったが、今年は明後日余り知られていない供養を見に行く。その艶やかさとは全く違う渓谷の紅葉。そんな秋を見る事が出来る。
この日はハイキングコースの親父のベンチにも座らず、この赤い実を眺めただけ。近くの道端の大きな石の上で弁当を広げる。これから寒くなるけれど親父にとっては関係ない話。寒ければ寒いなりの格好をすれば良い。去年迄はそれだけの元気もあって股引(股引)もはく事は無かったが今年はどうだろう?
今年は防寒ズボンは買う気がする。それとも暖かい下着?この歳で薄着をするのは年寄りの冷や水?そんな事は無いだろう。週に一度の銭湯の脱衣場で一番の自慢はパンツ一丁。(そんな事は自慢にならない?)そうかな?薄着が肌を鍛えると言う事を殆どの人は知らない?アホ。風呂上がりに冷水で足首を冷やす。(桶で水を掛ける)風邪予防対策。最近はしていないな。
武田尾旧福知山線駅前の見事なモミジの大木。それでも樹齢はそんなに古く無い。武田尾で一番の紅葉も何故か寂しげ?大丈夫。これから賑わいは戻る。そう言い聞かせながら親父もその言葉は信じていない。世の中の流れは川の流れと全く同じ。その事は歴史が証明している。
「行く川の流れは絶えずして元の水にあらず。流れに浮かぶ泡沫はかつ消えかつ結びて久しく留まるためしなし。」鴨長明 ところがこの言葉は殆ど知る人は居ない。何故だ?アホだから?しかしこれも現実。そしてこの言葉にも嘘がある事を知る。
どんなに無知な人間でも感覚的に肌で感じる現実は厳しい。流れに浮かぶ泡沫(アワ)は澱みに巻き込まれるとその中をグルグル廻るだけ。そのうちそのアワは哀れにも弾けて消え失せる。残った泡は白くうすい幕となり漂う事すら出来無くなる。多くの人の思いを吸い上げて清流に戻す。そんな世の中は期待出来ない。現在の哲学者、宗教指導者もその程度の事も語れない。
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