久々の万博公園 秋は深まっていた でもその前に
この峠が完成したのは半世紀前?それ以上前?その時は舗装されていなかった?それでも片側一車線のこの道はこの地域の物流を大きく変えた?街道の道はこの右側を直進する。ただ道は狭くて車の離合は難しい。その改修された道も今は交通の難所になっている。その道は歩く人は居ない?
こちらが旧街道。この道に比べるとずいぶん立派になっているが、それも半世紀以上も前の話。もっと前の時代は車の量も格段に少なかった。その当時の代表は何と言っても乗り合いバス。車掌が花形の職業だった時の道は、近代の夜明けだったに違いない。
ところが今は交通の難所になっている。大雨が降れば通行止め。その名塩道路は何時改修工事が完成するのか?その見通しも定かでない?明日(今日)その話が聞ける?聞けない?どっちや?どっちも。又コマーシャルのパクリかい。この名塩道路全区間の完成の目処は立っていない。目標は5年後?工事も動き出している?
こんな歩道の無い道でも自転車で車道を通る。当然後続の車は対向車線にはみ出さないといけない。交通量が少なければそんな走り方も出来るが交通量が多い(対向車)時はそんな走りは出来ない。その事をこのオバカは知らない。後続の車はどうするのだろう?それは決まっている。クラクションを鳴らして煽るに違いない。それでも避けない?流石にそんな度胸は無い。
これでも国道。道路管理者に地域住民から苦情は無い?関西のマスゴミが報道しない現実。その理由も分かる。彼等はこの現実を知らない。知っていてもニュースバリュ−(ニュースの価値)が無い。テレビや新聞のニュースは間違いではないが全てではない。その事が分かれば報道の情報程つまらない物は無い。大事な事は判断力?それもいい加減になっている。(ここはどうして歩いたの?)それはアナタ。後を見ながら素早く抜ける。そんな歩きは出来るかな?いい加減にしなはれ。
ここ迄来れば景色を楽しめる?とんでもありません。ボヤボヤしていると撥ねられる。この先、右は歩けない。基本的に車道に白線もロクにない道は右を歩くと死ぬ。間違い無い。車の流れを見ながら余裕を持って車線を横切る。そして安全な場所を歩く。ただしそんな所は何処にもない。
そんな時は車の流れが途絶えた時に車線を素早く歩く。それが出来ないとこの場所は歩けない。もう少しで赤坂峠を越える。(名前だけはシャレているが現実は厳しい。)この事も道路管理者に聞いて見ると面白い答えが返って来る。そんな道は歩かないで下さい。アホンダラ。
この素晴らしい里山は私有地で立ち入り禁止の看板がある。いずれここは間違い無く耕作放棄地になる。今でも地域の高齢者が亡くなると耕作は放棄される。その対策が地域にも行政にもない。この地域の活性化対策は土地の所有者に任されている?アホコケ。この先祖が汗水垂らして開墾した稲作も出来る畑は雑草が生い茂る?そんな事は無いと誰が言えるのだろう?この場所に立っていると本当に悲しくなる。
車の通行量は多い。道路管理者に1時間当たりの上下線それぞれを調査結果を聞いて見ると驚くに違いない。調査をしていないので分からない。そんな事はネエだろう?聞いてみますか?親父の実感では1時間当たり3000台。歩くのがどんなに危険かが良く分かる。
先祖代々山を切り開き開墾された農地が今はその役目を終えて耕作放棄地に成っている。如何ともし難い現実。この荒れ地をもとの豊かな土地に戻す事は出来ない?その取り組みが求められても(実際は求められていない)肝心の旗ふりが居ない。その理由も単純明快。誰も為す術がない。いずれ日本各地の地方の厳しい現実です。それが厳しいのか?それとも時代の流れで当然なのかは誰も知らない?
この道が旧道。旧街道。この道を歩けばこの左奥が赤坂峠の頂上。ここはまだかろうじて稲作が行われている。しかしその田んぼも畑になり耕作放棄地になる。この近くの親父さんと話をしたのは3年前。息子達は都会に出て戻る事はないと言われていた
その息子達も都会の仕事が終われば帰って来る?問題はその時迄この田畑が生き延びられるかだろう。その事が問われている?この地域の活性化対策は都会から高齢者を呼び込む宿場町の復活?ただそんな親父の夢は幻に終わるに違いない。久しぶりに国道から見下ろした景色は静まり返っていた。今週、もう一度歩けるかな?
ナンダカンダ言いながら最後は右を歩いている。この先が頂上。右側に旧道が合流している。それでもこの歩道は本当に命がけの価値も無い。この先は車の流れが途切れる迄待つ。そうでないと歩けない。峠の先に信号がある。その下が中国自動車道。その上に架かる橋を右に渡ればそこにも新興住宅地がある。そこもすごい道がある。何の事はない。この先は西宮山口。そのすごさは歩いてみれな良く分かる。これは目を見開かされていた。
この道が旧道。昔の街道。車社会でない旅人が歩く道ならこれで充分だったに違いない。この道を大八車が通る様になったのも江戸時代の後半に違いない。ただ歴史を知れば当時の人々の生き方が分かる。100年先の未来の人達は現在人の生き方を来て何を感心し、何を侮るのだろう?それは現在人の生き方を見れば良く分かる。この道と中国自動車道の狭い場所に名塩道路が完成する?
今夜は遊びながらブログを書いていたのでタイトルの万博公園の秋の風景と、広大なショッピングモールの記事が書けず。明日(今日)になります。悪しからず。2時半に成りました。寝ます。おやすみなさい。明日は西宮市役所です。
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