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2018年10月22日 (月)

中山観音の人出 七五三のお宮参り そのな光景を横目で見ながら奥の院に向かう 

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久々の閻魔大王と大黒天。閻魔大王は親父から叱られていた。何だ無様な世の中。お前の存在感はネエじゃねえか。悪い事をしたら地獄に堕ちる。その教えは嘘か。その親父の怒りの声を大黒天が慰める。眉間にしわを寄せて天下の憂いを口にしても何も変わらない。それよりも笑って暮らせ。そう言われていた。てやんでぃ。アホコケ。そんな生き方が出来る訳が無いと思いながら手を合わせていた。アホやのう。アホです。

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それでもこれからの生き方で最大の喜びは健康と飽くなき挑戦。戦いを挑み続ける事。やられたらやり返せ。コケにされたらその倍返しをしろ。テレビがつまらないのならテレビを見るな。政治、経済がインチキならそのイカサマを見破れ。そうすれば生き方が変わる?そんな事をしなくても心優しい人を見つければ生き方が変わる?そんなオバカな事を考えながら久しぶりに奥の院に向かう。

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この川は足洗川。御手洗川は西宮の東川ではみたらしと呼ばれその名前の由来を西宮土木事務所の管理、監督者に聞いても分からなかった。それだけでなく説明も横柄(おうへい)その程度の事だった事もここでは関係ない。しかしこの川は昔の参拝客には全く違う思いで受け取られていたに違いない。

今迄の生き方を悔い改める。手足の汚れだけでなく体全体の汚れを落として全く違う生き方をする。そんな決意の川だったに違いない。信じられない事にこの川の上流では鉄泉が吹き出している。その所為で川底に鉄分の黒さが残っている。どんなにすました生き方をしていても所詮人間は悪の根源。

その事をこの川を見れば不気味に感じる。どんなに立派な言葉を口にしてもやっている事は最低。そう考えれば生き方も死に方も全く違うに違いない。生きるという事はそう言う事。どんなにつらい生き方をしても悲しい生き方をしても汚れ(けがれ)のない生き方は出来ない。

それがいやだから生きる事をやめる。ところがその先の魂は救われない。もっと厳しい生き方が求められる。そんな事を宗教家達は教える事が出来ない。人間は何の為に生きているのか?クソ坊主達には語る事も出来ない。尤もらしい面をして尤もらしい袈裟を身にまとっているだけ?

そうではないだろう?静岡掛川大雲院の大和尚は空の上で大声で笑っていた。宗教とは信じる事。信じると言う事は理屈ではない。そう言われていた。(あの優しかった和尚はそんな決めつけ方は今でもしていないに違いない)現在の宗教は全て間違い。1番優れているのは真言密教。これは空海(弘法大師)の言葉。

しかしその教えも今では信じる人は多くない。その程度の事も知られていない。日本で1番信者が多い宗教は浄土真宗親鸞の教え。それでも親鸞の本当の教えは全く理解されていない?南無阿弥陀仏と唱えれば皆成仏出来る。そんな事がある訳が無い。それは歴史が証明している。国の為に若い命を捧げた多くの英霊に感謝の御霊を捧げます。それで憲法改正かい?そんな生き方をしている。その代償も払えぬくせに。

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久々に見る看板。この素晴らしい自然休養林も今は多くが国有林。しかし雑木林が殆どで何の価値も無い?そう思われている。ところがこの林の素晴らしさを多くの関西人は知らない。ジジババは当然だとしてもこれから何十年も生きる多くの大人と若者達も知らない。

この林の中で生き生きと歩いているのは奥の院のスタンプラリーをしている人達だけ。皮肉な事に彼等も聖徳太子の教えも知らない。聖徳太子?そんな人は生きていた歴史的証明は何処にも無い。そんな事もどうでも良いのだろう。奥の院は戦乱の時代、信長の名で焼き討ちにされている。

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この手前の崖崩れ。この先は少し足場が悪くなる。しかし昨日は息切れ、動悸は無かった。ある訳が無い。最近、夜、自分の呼吸の音で目覚める事があるがそれだけ、不整脈がひどくなっている?しかしそんな事は全く気にしていない。自分の体の異変は自分でも如何ともし難い。それでも何の心配も無い。そんな生き方をしないといけない。(精神論では駄目。こうして歩きながら自分の体力を推し量る)

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一見厳しそうに見えるこの参道も実は1番楽な道。この道を懐中電灯を手にして奥の院に向かう年寄りも少なくない。棺桶に半分体を入れながらこの道を軽々と歩けるそんなジジイの精神力には恐れ入る。何だかんだ言った処で人間に限界はない。?そんな事は無いだろう?

杖をつきながらこんな道を歩けるのは足腰にまだ最後の力を残しているからに違いない。体力の限界?その言葉を口に出来る人は勝負の世界に生きる人に違いない。凡人はジジイになってもヒョウヒョウとして歩けるに違いない。それが出来なくなると宙を飛ぶ。マサカ。そんな鍛錬が求められている?

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ここが本日の目的地。この先左に上がる道は急になる。それでも100m足らずの尾根を登るだけ。その先に夫婦岩がある。夫婦岩?20年以上1人で生きて来ても二人で支え合った23年の年月は忘れていない。楽しい事は少なかったけれど支え合う気持ちを一日たりとも忘れた事は無かった。

我が侭な生き方しか出来なかったと言われても本当の所は夫婦でないと分からない。夫婦とはそう言うもの?それでも余命は長くないと宣言された時、痛感した事は言葉に表せない哀しみだった事を今でも忘れていない。夫婦とはそう言う物に違いない。

一度きりの人生。この歳になるとその事が何とも悔やまれてならない?そんな事は長くは続かない。生きる事は全てを超えている。夫婦の歳月と1人寂しく生きた人生がそろそろイコールになる。これからの人生を考えた時、心に掛かる中秋の名月はどんな言葉を語りかけてくれるのだろう?

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