過ぎたるが及ばざるが如し 流石の公共放送も民間放送も知らない?
緑の芝生?関西は台風が直撃しているが影響が大きいのは和歌山、三重の南部?親父の住んでいる北部は全くその影響が感じられない。これから雨風が強くなる?そうかもしれないがそうでもない気がする。これだけの台風の大騒ぎは災害の大きさを感じると「騒ぎ過ぎ」とは言えないだろうが、これだけ大騒ぎをすると流石にうんざりとして来る。
避難所の一人暮らしのジジババの反応も何度も見せつけられる。それでも音声を消して映像をチラ見すればそれで充分。この芝生もよく見ると小回りの利く芝刈り機が必要だという事が良く分かる。それでも用意はできない。そんな事も誰も知らない。草むしりをするしか無い?やる訳が無い。
芝刈りは人間の育成と同じ?人間の育成?そんな事を意識する人もさせられ人も多くはない。人は在るが侭に生き在るが侭に終わる。どんな生き方が出来るのか?どんな死に方が出来るのか?そんな事は新興宗教でも問えない。自民党、保守勢力と厳しく対立した創価学会も今では政権政党の支持団体。恥を知れとは誰も言えない。
この素晴らしい芝生公園もよく見ると雑草が見える。しかしそんな事を心に留める事は無い。平然と芝生の上を歩きながら足の裏の快感を体感する?そんな想いをしてくれる人も多くはない。この芝生公園には大小の石も置かれているが、その意味も歴史も全く意識されない。そんな生き方をしている。そんな人々の生き方を枝垂れ梅は横目で見ながらその混み合いにうんざりとしている。その枝切りも出来ない。
頭上注意。脚下照顧。ここは散策の道。この草と枯れ葉を綺麗に出来ない道路管理。その原因は無様な道路管理。理由は管理区分が徹底していない?そうではない。道を綺麗にしなくてもクレームを付ける人が居ない。その対策は自分でやるしかない?次ぎに来る時は熊手が要る?そんな事はしない。100均のほうきと塵取りで充分。置いていてもすぐパクられるのだから。
次に歩く時この草取りをして綺麗にしますか?この管理者は誰なのだろう?そんな事もどうでも良い。自分で草取りをして自分で落ち葉をさり気なく綺麗にする。何とカッコ良い事だろう?そんなジジイは全く居ない。そろそろ人生を終わる?そんな生き方をしても良いのだろう。
長く上に伸びていた山桜の幹が前回の台風の強風で裂けている。この桜の管理者はこの痛々しい姿を何時迄放置するのだろう?それはこの裂けた幹が邪魔になる迄?それはいくら何でもあり得ない?それともあり得る?
五月山山麓の緑のガーデンで一休み。お気に入りのトマトジュースを口にしながら味を確認している。ジュースの種類は同じでもメーカーによって微妙に味が変わる。それでもトマトジュースが今は中心。ジュースは殆ど口にしないがトマトジュースは例外?コーヒ党の親父でも缶コーヒーはうまくない。
ここでも松の大木が見事に折れている。この木は松食い虫に大きくやられていたが、何とか不屈の精神で持ちこたえていた。しかし先の台風の強風は半端ではなかった。風の強さを跳ね返す力が失せていた。その不屈の精神も吹き倒されたらお終い?丁寧に始末も出来ない。
| 固定リンク







































コメント