武田尾行けず。それでもタダでは起きない?ご覧あれ
これは昨日の写真。今日は電話対応で出掛ける時間が遅くなり予定変更。それでも昨日の写真は一杯残っている。この写真の場所は堤防のかさ上げ工事で堤防が立派になったが旅館の面影は無い。それでも土地の権利は移動していない?この場所で旅館が再開される・その可能性は高くはない。
ハードルが高い?どんなハードル?それはこの場に立てばよく分かる。経営者の高齢化。地域の過疎化?地域の魅力無し?それでどうしてこの地域が再生するの?そんな問いかけすら無い。今はこの奥(谷?沢?)には足を踏み入れる事は出来ないが、必ず奥に続く道を行政の許可を得て探し出してみせる。出来るかなそんな事? 出来なければ他のルートを探し出すしか無い。アホ。
この赤い吊り橋が完成した時期待されたこの手前の武田尾温泉は今は風前の灯。それが時代の流れと平然と口にしたお友達の寿司屋の会長。彼は成功者。そして今は中小企業の経営コンサルタント。精神論で経営者達を追い込んで行く。その気力も若さもアイディアも無ければ「時代の流れ」と平然と言えるのだろう。彼もいずれその轍を踏む?それとも親父が山の中で一人朽ち果てる?どっちや?それはいずれ分かる
この先もう少し歩けばJR武田尾駅の対岸。川の向かいです。そしてここ迄寄り道をしなければ7〜8百メートル。お年寄りでもゆっくりと歩けばこの先は残り7〜8百メートル。休憩ベンチはまだ造られていないがそれが出来れば90代でも歩ける。90代でも歩ける散歩コース。そんな道が出来てこそ人生100年の時代。
口先だけでは足腰は立たん。いずれどなたも老い朽ちる。その時迄にどう生きるか?その事が問われている。間抜けな官僚達には分からない。勿論横断歩道に車を止めるおばはんにも分からない。見知らぬ人にその事を注意されて開き直った昨日のバカ。いずれ祟りがある事を夢にも思わないに違いない。
そんなオバカな生き方をしている。そろそろ年貢の納め時?そんな世の中になる。訳が無い。どっちゃ?どっちも?(こらCMをパクるな)それでも今日電話で素晴らしい人を知る事が出来ました。最寄りの駅のソフトバンクのお店が店じまいをしている。いつ迄も携帯の販売も美味しい思いは出来ない?ところがそうでもない?どっちゃ?いい加減にしなさい。
地域の唯一の公共交通機関も役目を終えている?肝心の乗客が皆無?これは信じられない光景でした。しかしよく考えてみるとバス賃が高い。この上にある集落。西谷地区は広い。この集落が宝塚市に吸収合併されたのは昭和35年。当時期待された地域の活性化は地域の高齢化、少子化とともに期待は大きく裏切られている。
いずれこのバスも乗客の現象で採算が取れなくなる。それでも市、県、国の支援は変わらない?そんな事は誰も考えていない。そうなると地元民以外の足はどう確保されるのだろう?そんな事は誰も考えていない?そんな事は無いだろう?しかしみんなが深刻な地域の足を確保しなければいずれ深刻な過疎は必然の結果となる。それでも関係ないか?確かに。
人の気配は全くない旧武田尾温泉の道。よく分からないがこの道はこの先にある橋が完成した時に整備されたのだろうか?水上勉氏の笹部新太郎演習林をモデルにした小説「桜の園」にはこの道の記述は無いが、当然演習林管理人の主人公と笹部氏は何度も歩いた道に違いない。
関西の財界人も車でこの道を通ったのだろうか?今となってはそんな事も知る人は少ない?関西経済界の重鎮もいずれ老い朽ちる。その程度の事も分からないのだろう?大阪万博招致。カジノ付きリゾート施設の誘致。程々にしないと関西は東南海大地震で甚大な被害を受ける。
その対策を万博会場でどう防ぐ。カジノ付きリゾート施設でどう対応する。そんな事も少しは考えろ?当然親父の終の住処の武田尾も山が崩れて壊滅的な被害を受ける。それでも大阪湾岸地域、大阪市内とは比べ物にならない。親父は地震の洗礼は受けていないが災害は忘れた頃にやって来る。
その程度は考えた生き方をしないといけない。それともその時はその時。そんな言葉も全く説得力は無い。それは東北、阪神淡路の大地震で多くの人が体験している。それでもそれは他人事。親父もその悲惨な事実はテレビニュースでしか知らない。当事者になった人達の悲惨な思いを私達は全く知らない。それでも何も出来ない。
この階段を暗がりの中を降りたのが4月の終わり。あれから何度もここに来てこの階段の足元の足場を均している(ならしている)この階段は何時造られたのか?誰が造ったのか?それは知る由もないが西宮名塩からこの階段を下りる迄の距離は13キロ前後。健脚でも4時間弱。親父に足で5時間。それでもしんどい。現在はこのハイキングコースの知る人も少ない?
この階段の先にベンチがある。ここが親父の隠れ家。ここ迄歩いて来て手にして来た弁当を広げてパクつくのが最近の日課。当然雑用が重なるとここには来れない。だから来れた時は何よりの喜び。この先山裾を大きく左に廻り込まないとこの尾根は直登出来ない。それだけ急。右には武田尾温泉。その上も直接尾根には上がれない。
雨が降れば当然ベンチに屋根がないので濡れる。傘を差して弁当を食わないといけない。ここにも簡易の屋根が欲しいがそれはこのハイキング道管理者の許可が要る。まず無理だろう。それはそれで充分。これから梅雨が明ければ暑くなる。しかしここはどうなのだろう?前は川が流れているのここは木立の中。親父でなければ結構不気味?ただ歩く人に出くわした事は一度だけ。その時は相手も警戒していた。だろうな。
しばらく景色を楽しんで引き返す。この階段も歩きやすくなったが暗がりの時、もう一度この道を歩いても簡単では無かったに違いない。なんだかんだ言ったところでこれくらいの階段も歩けない高齢者だけでなく若者達も少なくない。これからの時代を生き抜く為の絶対条件。それは歩く力と考える力に違いない。
そして滑舌。大阪人は「しゃべってなんぼ」と言われたが口先だけのカラ元気が多くなっただけ。それが大阪の元気。違うだろう。東京人に馬鹿にされる意味がよく分かる。もっとも東京人もアホだけど。モリカケは終わり。終わる訳が無い。いつ迄もボクシングのボディブローの様に効いて来る?意味が分からない?そのうち分かるよ。
下流に向かって左側のかさ上げ工事は立派になっている。しかし信じられない事に右岸は何も変わらない。この川の中の大きな石を大型パワーシャベルですくいあげ、川床を均しただけでも左岸の洪水時の水位は1メートルは下がったに違いない。この右岸の堤防は何処にあるのか分からない。その事はこの工事の責任者に聞いてもとぼけられただけ。素人でも考える事と専門家の見解は異なる。それはこの工事が端的に表していた。
霧が武田尾の尾根に立ち込めていた。この尾根を直登する道はない。この600メートル足らずの尾根も左に大きく廻り込まないと登る事は出来ない。世の中も同じに違いない。どんな大した事無いと思われる事でも出来る事と出来ない事がある。出来ない事を尤もらしく語る事は無い。仙人の様な生き方に憧れてもそれは日々の生活を支えてくれる人が居て初めて成り立つ。その程度の事を忘れている。その事を教えられていた。それでも自分に出来る事をやる。その程度の事で充分に違いない。
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