今にも泣き出しそうな梅雨の曇り空。靴の調子も重い。
駅前の違法駐輪は最近何処の市町村でも改善しているがそうでもないところが依然としてある?その原因は自転車利用者のマナーが悪い?それは1番だが2番は警察の間抜けさ。警察は車の違法駐車も徹底的に取り締まれない?その原因は取り締まり対象が多すぎるから?自転車も同様だが駐輪場を整備して行政が徹底的に改善している。
今日は気合いを入れてしっかり歩くつもりだったが、先日修理を終えた靴の調子が良くない。(靴底が凹んで張り替えをした)その靴が何故か重く感じる。実は靴が重いのではない。親父の股関節の動きが滑らかでない?どうして?どうしてだろう?最近一気に歩く力(脚力)が落ちている。それでも携帯の歩数計は本日7835歩を計測している。距離は5、6キロ。嘘でしょう。そんな気がしている。
何だこの不細工な歩道。この歩道管理者は国土交通省大阪国道事務所。その出先機関は大阪高槻にある。国道事務所の係官。監督者と話をする事はなかったがいろんな人が居る。この歩道の電柱もいずれ地中化?一気には出来ないととぼけたことを言っている。そんな事は住民は殆ど知らない。
交通インフラの整備と言ってもお役者は苦情がなければ何も改善する事はない。ここも地域住民からの苦情は何もない。そんな事はないだろう?歩く人。自転車で通る人も居ない。政治家とお巡りさんは何をしているのかね?関係ないととぼけている。そしてそんな政治が支持されている。そんな事はネエだろう?知らないという事はそう言う事かいな。
一度取材に言った事がある。「突撃取材」操業100年を越える豆腐屋さん。親父さんは取材対応0だった。?顔をしかめて小さい声でボソボソ言っていた。それでも商売が続くのは伝統の味?どんなに商売人ではなくても美味しい豆腐で勝負が出来れば常連さんが支えてくれる?そんな商売をしているのだろう。
ここは市内のはずれ。この先は同じ市内でも農村、植木の町?少し先には新興住宅地がある。市長はその地域の小、中一貫教育日本一を目指しているがチャンチャラおかしい。この北摂の田舎町で日本一を目指す必要性は何もない。大体教育日本一とはどういう事?そんな学研都市を目指すには器が小さすぎる?誰の器?それは見れば分かる。
何時迄恥をさらすのだろう。余計な事をしなければ批判もされなかった?だろうに?そんな無様な仕事をしているという認識がない?恥をさらすという事はこう言う事だという事を思い知る事も出来ない?この程度の管理しか出来ない事をどれだけの市民が認識しているのだろう?
無様な仕事をしても知らないという事はそう言う事?新幹線の車内で殺人事件が起きてもその対策は取れない?新幹線が鉄路に人が侵入しても警報は鳴り響かない?駅のホームでその異常にも気がつかない。このオバカ達は何をしているのだろう。あってはならないことが起きても頭を下げればそれで終わり?
そんな社会を生き延びるには格闘技を身に付けなければ生きて行けない。そんな社会は看過されない事を何時思い知るのだろう。そんな事もどうでも良い。世界は闇黒の時を迎える?そんな危機感も感覚もなければとぼけた生き方が出来る?人の生きる道を踏み外してもそんな事も許される。そんな事は無い事を誰が教えているのだろう?
写真で見ると何も問題ない感じも無いではないがそんな事も全く考えられていない。この桜の樹を寄付してくれた人には申し訳ないが、この無様な枝葉ではこの桜の寿命は2、3年で終わる。それでも行政はそんな事は認めない。この竹箒(ほうき)の様な桜も10年もすれば立派な桜になる?なる訳が無い。その程度の事も分からない。
どさくさにまぎれてカジノ法案が成立。カジノ付きでないリゾート法が成立して日本各地に多くの観光施設が出来て破産した事は昔の話。大阪の夢洲(埋め立て地)にアメリカとシンガポール資本のカジノが出来る。高級リゾートホテルが出来る。高級国際会議場が出来る。関西の政財界も双手を上げてウエルカム。積極的に歓迎。
関西の人達も関西経済の盛り上がりでハッピーな気持ち。ただ公営ギャンブルは本当に多くの人がハッピーになる訳ではない。その程度の事を関西の人達は理解出来ない。親父達はその繁栄を見る事は出来ないが悲劇が待っている事も公明党、創価学会も知らない。インチキ政党。自民党と肩を組んで喜び合う事は無いだろう。
ここから目的地の花の寺「久安寺」迄はこんな車道はおさらば。ゆったりとした予野街道を歩く事が出来る。今日の楽しみはそれも大きかった。ところがここからバスに乗る。体調は悪くはなかったが足が言う事を聞かない?それでもその判断は間違ってはいなかった。小雨が降って来る。バスの中は満席だった。つり革につかまっていてもらくちん。婆の声が耳に障る。それでも聞こえぬふりをしていた。
バスはこの手前で新興住宅地の中を一周してこの先の「久安寺」が終点。小雨も止んでいるのでここでバスを降りて歩き始める。何たる道路管理。この手前右側に新しい道が出来てもこの歩道は広くする事は出来ない。地域住民が反対するから?それでは何の為に手前に道を造ったの?そんな事はどうでも良い。
この道は京都亀岡に抜ける道。半世紀前に会社の仲間とレンターカー3台で通り抜けている。その時の目的地は天橋立。ところが途中で後輩君が追突をして引き返している。その時結婚の意思を聞かれた女性が居た。あの当時はその気持ちは全くなかった。後50年は生きられない。この道は殆ど変わっていない。もう一度車で走り抜ける事は無い。ただ大阪に戻ってから数年は何度も走り抜けている。これも人生。
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