昨日は久々のまとまった雨 それでも素晴らしい景色を独り占め
久々の「水月公園」この階段を登るのも久しい。今日からここでは大勢の人で賑わう。?その訳は?その景色を一人で眺めて来ました。「いずれアヤメかカキツバタ」こんな言葉の意味も分からないオバカが多くなっているが、考えてみるとそんな事もどうでも良いのだろう?この「桃源郷」の様な景色はタダでは見れない。(そんな事は無い。ここは市営の公園。誰でも無料で楽しむ事が出来る。
この見事な「花菖蒲」この時期にこれだけの菖蒲園を愛でるのは久しい。静岡県掛川に13年間住んでいたが近くに有料の菖蒲園があったが、そこには一度も足を踏み入れていないので感激をしながら園内の多くの種類にレンズを向けていた。
小雨が降っていたがこの時はその雨も気にはならなかった。傘は差していたがシャッターチャンスを邪魔にされる事は無かった。人生を後どれくらい重ねられるのかは分からないが、これだけの花菖蒲はこれから何度も見れないに違いない。大阪万博公園に行けばこれから蓮の花の開花を目にする事が出来る。(後しばらくかもしれない)しかし蓮は早起きしないと萎んでしまう。菖蒲はそんな意地悪はしない。
花には全て名前が看板で表示されている。それでも花の名前は知らなくても充分に楽しめる。この菖蒲園は市内に住んでいる人でも知らない人が少なくない。それはそんな生き方をしているだけ。それでも人にとかく言われる筋合いは無い。この見事な季節が終わるとしばらくはうっとおしい梅雨。その梅雨が明けると池の廻りの緑が暑い日差しを防いで呉れる。ただそんな悦びを感じられる人も少ない。
まだまだ続く。大阪は今日は梅雨の晴れ間。昨日のまとまった雨で武田尾の武庫川も増水しているが昨日程度の雨では川の流れが急になっているだけ。一日中まとまった雨が降ると水位は一気に増水する。そんな状況も殆どの関西人は知らない。それでも平然と生きている。自然の環境がどんなに厳しくなっても関係なく生きられると思っているのだろう。この続きは今夜です。お楽しみに。(どうでも良い・)さよか。
20年と数年前に静岡森の小国神社で見た睡蓮は花菖蒲だったのだろうか?睡蓮も花菖蒲も同じ仲間?現役を退いてジジイになってやっと花を愛でる様になっても時は既に遅い?そんな事はありません。愛する人を失っても花の美しさは変わらない?それはどうかな?そんな事はどうでも良いのかもしれない。その事はこれから思い知る。
これがおなじみの「いずれ菖蒲(菖蒲)か杜若(かきつばた)」しかし花の種類は菖蒲(しょうぶ)ややこしい。花も人も同じ?同じ様に見えて同じではない。全く違う様で実はそうでもない。外観だけでは分からないその中身は意外に軽い?親父が余りにも我が侭?それは仕方が無いね。今迄本当の友が出来なかった事がよく分かる。
この頃から雨が強くなる。それでもカメラに雨粒が映り込む事は無い。
八咫烏は足が3本あると言われている架空の「カラス」カラスは現在人に余り愛されていないが実際は賢い鳥。ただ何処から見ても「うす気味悪い」だけ?カラスは餌の在処(ありか)を良く知っている。ただこの花菖蒲の冠はそこから来ているのではない。そんな事もどうでも良いか。確かに。
この「花菖蒲園」に中国の古典的建物「斎芳亭」がある。今、多くの日本人に「斎芳亭」と聞いても分からない。分からなくても知らなくてもそれは恥でも何でも無い。反対に「だから?」と反論される。21世紀は中国の時代と言われてもその程度の事だろう? アメリカは北朝鮮と国交を回復する?訳無いだろう?そんな事も分からない?
ここは「能勢街道」久々に歩く。雨脚は強くなる。雨の日も又よろし。この後石橋のからあげ店に向かう。昨日に続いて「大分名物」とり天とゆず胡椒からあげを注文している。ここから先の大雨でズボンの後とショルダーバッグはずぶぬれ。それでもカメラは濡らさず大事に抱えていた。
お味の評価は期待はずれ。しかし悪くはない。材料と商品のこだわりは評価出来る。鶏肉とその味付けは大分中津で毎日行われ直送されている。問題は何だろう?大分現地の味との差は調理の温度?それは如何ともしがたい?何故なら関西人の舌は大分県人とは合わない?それも違う気がするが?も少し食ってみないと簡単な判定は出来ない?
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