クソヤロウに刃物?そんな言葉は差別用語?生きる術を知らない?教えてやれ。
新幹線で刃物を振回しその蛮行(野蛮な行ない)を止めた青年が命を落としている。将来を期待された優秀な青年が糞野郎(生きる価値もないアホンダラ)に命を絶たれる。多くの人権を語る大人達はこの事実をどう見るのだろう?
人権とか法律とか差別用語とか何だかんだ言った所で糞野郎に弁護の言葉は無いだろう。その程度の事も口に出来ない。その理由がようやく分る。なんだかんだ言った処で糞野郎に(生きる価値のない自虐野郎に)一人で立ち向かった青年の心意気に考えてもらいたかった事。刃物に素手で立ち向かう事は出来ない。しかしそんな事は全く考えていなかったに違いない。他の奴らは何をしていたのだろう。その程度の世の中だとは考えもしなかったに違いない。
親父ならどうしただろう?逃げる事はせずに青年と同じ様に立ち向かった?それもしなかったに違いない。咄嗟に出来る事は振回している刃物を使えなくする事。その為には警棒を振回す?バカタレそんな物は何処にも無い。警棒がなければ?消化器を探す?そんな暇はあったのかな?
危険予知も出来ない公共交通機関で持ち込みの刃物の禁止も出来ない?アホやろう。そんな電車で爆発物を持ち込まれても安全は担保出来る?何たるマヌケだろう。東京、大阪、名古屋だけでなく日本全国何処にいても安全な場所は何処にも無い事を思いしれ。その程度の事を誰も知らない。
今年のアジサイはこれで見納め。期待していた程の美しさはなかった。それでもこの季節の変化を知らないで死んで行った青年の無念さを考えると糞野郎のとぼけた自白は許せない。(刑を終えたら同じ事を繰り返す)アホンダラ。刑の重さをこれから思い知れ。刑務所で屈辱を思い知れ。そして2度と刃物は手に出来ない様になって社会に戻って来い。世の中てめえが考えている程甘く無い。
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