6月も終る。無様な戦い方。それでも関係ない?アホか。
この坂を始めて登った時、この坂の先に何があるのかは分らなかった。しかもこの道の所有者は箕面市だと思っていた。今でもこの道を歩く人は同じ事を考えているのだろうか?マサカ。以前あった日本語が上手だったドイツ人は親父よりこの街の事が詳しかった。それでもそんな事は知らないに違いない。
飛鳥の時代から何も変わらない?この地形も今ではよじ登る事は出来ない。別に禁止されている訳でもないがこんな処をよじ登らなくてもこの上に行く道は立派に整備されている。しかしそんな快適な道も展望台迄。その先は車道に出るが間もなく山の中を歩く道がある。ただその道の歩き方はガイドが居ないとちょっと不安。道案内が無い。
この岩山も登る事は出来ない。何時崩れてもおかしくないから?そうでは無い。この危うい山肌も先日の地震でもびくともしなかった。も少しこの山が揺れたら崩れたかもしれない?この近くに西江寺(本日出合いを期待した役行者のお寺)の道場がある。座禅を組んで山に向かって瞑想が出来る。
仏教と密教の違い。そんな事を明解、簡潔、分り易く答えられる人は少ない。全くそんな事に知識が無くても平然と生きる事が出来る。世の中どんなに豊かになっても、どんなに贅沢な生活が出来ても、何不自由な生活が出来ても、そんな事は平然と踏み倒して生きて行けると思っている多くの人達が居る?
そんな事が何時迄も出来る訳が無い。その程度の事は分らない?空海が批判したこの国の仏教の堕落。その事を語る人は不幸な生き方をしている?そうかな?そんな生き方しか出来ない世の中を彼等はどう思っているのだろう?その事も苦々しく行者様や阿闍梨様は思わないのだろうか?
そんな事を口にしていたら叩き潰される。誰に?権力者達に?そんな人達は何を信じて生き長らえているのだろう?アンタには分らないだろう。若い頃、よく言われた言葉。(世の中はそんなに甘くは無い)確かにそうだった。その事はこの国が滅びる時迄続くのだろうか?そんな事は誰にも分らない。ならばその扉をこじ開けてみましょう?アホか。その前にこの崖は崩れる。
何とも愛嬌のある閻魔大王。片目を閉じてウィンクをしていた。何も案じる事は無い。強いて言わせてもらばまだまだ知識が足りない。多くの賢い人がもっともらしく教え広めた事に対抗出来る知識も智恵も無い。その事を思い知れば世の中は違う事を教えてくれる。そんな事を語り掛けていた。
役行者さんが昇天したと言われる天井が岳は遠い。見難い地図の左上。この道も元気の良い若者は最寄りの駐車場から一気に駆け上がって行くと言われている。このジジイにはとてもそんなマネは出来ない。箕面の滝上迄歩いて居くとそこ迄3㌔弱。そこから少し歩いて箕面川を渡るとそこからは山の中。猿は勿論。熊も出る。そんな道を歩きながら尾根を登る。片道6㌔弱の道。そこ迄行かないと有難い話を聞く事は出来ない。
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