久々の雨 暑かった大阪もクールダウン?生き方はどうだ?
武田尾温泉に大きな変革の時が到来している。大阪市内から1時間足らずの所にある温泉宿。日本経済が大きく成長した今から半世紀足らずの時から関西の奥座敷として多くの関西財界人、著名人、それから多くの人々にも愛されて来た。ところが時代の変化と共にこの温泉を知る人も少なくなり、現在宿泊出来る宿はこの(別邸あざれ)だけ。
この対岸にあった2軒の温泉宿はこの護岸かさ上げ堤防強化の工事で取壊されている。その上に立ち退きを余儀なくされた旅館が戻って来る看板は無い。更にこの工事の一番上流側(この上の写真)。大雨で川が増水した時にはこのコンクリート堤防の半分近く迄激流が襲いかかる。
この工事が完成するのは今年の秋と言われているが、その前に今年の梅雨と台風が襲いかかる。その対策は出来ているのだろうか?そんな事を考えていた。この川の上の仮設道路はこの堤防工事の仮設道路。このダンプが出入りしている旧福知山線のトンネル出入り口を見に行く。
車道はここで左の広場に降りる。ここで行き止まり。この先を歩いた事がある。ただこの先は歩いても数㌔先で川の縁をロープで数メートル降りないといけない。そこで2度諦めている。3度目の挑戦なるか?それは無いだろう?
落ちたらカメラはは言う迄もなく体の安全も保証されない。そんな看板は何処にも無い。ここは武庫川右岸(上流に向かって)行政の責任を来週聞ける?無理かな?今回はこの車道を降りる。この先に工事車両の出入り口があった。そこにガードマンがいた。赤いランプの終列車?赤の警告灯を振られる。分っている。そう口にしながら近づく。
親父がカメラを見せながら目的を説明しても物見遊山で写真を撮りに来たと思っていた。ここは工事車両が通るので立ち入り禁止ですと言われて親父の決め台詞が出る。「来週工事の責任者と話をするのでその為の検証です」この言葉で態度が一変する。
最初からそう言って下さい。お前が聞かなかったからだろう?立場が一変していた。(汚い手を使うな)こんなオバカな親父は居ない。こんな親父がいないと現場は何も変わらない。この先が武庫川沿いに通り抜けられない事を誰が認めているのかい?多くの人が知らない。関係ないと思っている。
JR武田尾駅下の桜も満開の時を過ぎる。☂模様になってきたが大した☂にはならない事を期待して笹部新太郎演習林の山桜を見に行く。桜の園(その)はここから約1㌔。5時を過ぎていたので人影は殆ど無い。この駅前が活性化する事は期待出来ない。この駅の下は武庫川が流れている。
ここが旧福知山線武田尾駅前。今はこの上の集落(宝塚北部地域)の人達の通勤車両が駐車スペースとして利用している。その総数数十台。これからこの地域が賑わいを取り戻す最大の条件は更に広い駐車スペースが求められる。その計画は無い?それではこの地域の活性化は厳しい。そんな意見は無い?何も知らない。関係ない?そんな事は無い?
これから武田尾側から武庫川下流に向かって廃線敷きを歩く。笹部新太郎演習林は短いトンネルを二つ抜けないといけない。このトンネルは照明は無いが懐中電灯無しでも歩ける。しかしその先終点迄歩くには長いトンネルがあるので証明無しでは歩けない。真っ暗。懐中電灯を手にしていても背後から何かに背中を押される。(嘘だろう)嘘です。
ここ迄拙いブログを見て頂いたお礼です。親父が感動したシダレ桜。この桜の樹は誰が植えてくれたのか分らない。まだ樹は若い。若いと言う事はこれ程に素晴らしい。これからこの樹が成長するのと反比例して老いぼれて来る。気持的には来年はまだ元気と思っているが間違いなく歩けなくなる。その事を忘れなければ来年又合える。そう思っている。
親父が最後の仕事になった二流(失礼)塗料会社の宝塚工場で朝の体操の時、声を掛けて呉れたミーちゃんも今年の春、小学校5年生?この桜の様に輝いているに違いない。派遣の仕事で急に配置転換を求められたのでお別れもしていないが、その慰めの感じがしていた。薄汚い人の生き方に染まらずに大きくなって下さい。
こちらも見事な山桜です。吉野の山に行くと見事な山桜を見る事が出来る。吉野の山は深い。修験道を歩く事はあるのだろうか?その道は険しい。その道は連休明けでないと通年歩く事は出来ない。そんな事も多くの人は殆ど知らない。
人が己を極める。そんな生き方が無視されても人は人らしく生きて行ける?そんな事は無いだろう?その程度の事が分からない?極道。それはヤクザの生き方と言われるがそれは間違い。だからオバカな指導者が多くなったのだろう。マスゴミの所為?真実は一つしか無い。それを極める事は出来ない?そんな事はネエだろう。
このトンネルを抜けると目的地到着。昨年期待して来た山桜の満開の景色は意外に地味だった。今年はどうだろう?ただ来た時間が遅い。オマケに小雨が気になる。ただここ迄来たら引き返す訳に行かない。このトンネル内の良く見えない枕木を踏み付けながらそう感じていた。
このコースは全て歩いている。このコースのガイドは常駐していない。親父は自分の好奇心だけで眼を輝かせながら歩いて居た。今回歩く道は左の青いルート。ここが笹部新太郎が北さんに桜の管理を委託した場所。その坂道を小雨にハゲ頭を叩かれながら歩いて居た。幸いタオルを手にしていたのでそれを頭に乗せる。見事な桜の大木を眼にする。
この先に見事な桜の大木が満開の時を迎えていた。こんな大きな桜を育てた桜の博士と管理人の偉業は時代と共に忘れ去られる。大きな桜の大木が枯れ果てて切り倒されていた。それでも凛として空に枝葉を伸ばし見事な花を咲かせていた。
この桜の園が何時迄も維持管理されて行く?そんな事は無い。若い人と行政の支援が求められているがそんな事は関係なととぼけられている?その活動も限られた人で維持されている?自然を守り育てて行く事は容易では無い?その事はここを歩けば良く分かる。ボランティア活動で支えられている。宝塚市長もそんな事は知らない?
今年は山桜が満開の時を終えてはいなかった。小雨に人の気配は全く無く夕暮れも迫っていたのでこの素晴らしい景色を独り占めだった。本当はこの坂を登り切り坂の上から見下ろすつもりだったが、帰る時間が気になり小雨も止む気配も無くここで引き返す。それでも満足していた。
もう少し明るい時に来ればもっと艶やかな山桜が見えたに違いない。曇り空。小雨。6時前でこれだけの花見が出来れば文句は無い。これで今年は京都仁和寺の遅先の(お多福桜)が見れれば文句はないがどうだろう?来週はいよいよ大阪造幣局桜の通り抜け。火曜日から始まる。月曜日に行けるかな?(月曜日に見れるの?)それは出来ません?ではどうして?それはナイショです。
残念ながら小雨が止む気配がないのでここから引き返す。今度来る時は5月の連休明け。この山桜が葉桜となりこの辺りの景色も一変する。五月の連休明けはこの老木達も一気に元気を取り戻す。それでも残念ながら枯れてしまう幹も少なく無い。
そうしてこの桜の園も新陳代謝を繰り返す。人間様も例外な筈が無い。その程度の事も老いぼれには分らない?今年はまだこの山を駆け巡る事が出来るが、いずれお迎えの時は来る。その時迄どんな生き方が出来るのだろう。
この武田尾でその検証をしないといけない。宝塚の女性市長が地方巡業の土俵の上でしか挨拶が出来無い事を怒っている。バカヤロウだろう。土俵の下でも充分だろう。その程度のジョークを言えない?そんなレベルの挨拶はすな。この武田尾の活性化に何が出来るか考えなはれ。
その程度の事も分らん?かもしれない。市長の悔しさは小さい。地域の活性化。それが問われている。知らないのだろう。この山桜の美しさ。その偉業を支えたこの桜の演習林の管理の物語。そのくらいの話を知らなくても市長は務まる?そんな事は無いだろう。
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