昨日の大阪城梅林。まだ満開では無かった。
これでもまだ満開では無い。明日は天気が崩れるので来週の満開の時迄花もちがするか?それが心配?それでも今年は二回も見事な梅を見る事が出来た。ただ樹齢は30年足らず?(実際は40年を越えている?)この素晴らしい梅園を維持管理しているのは公園事務所。その維持費は分らない。
今年の観梅で意外だった事は豊後梅がピンクだった事。そんな事はどうでも良い?しかしアンタは知らないだろうが多くの梅の中でNo.1は何と言っても豊後梅。その豊後梅がこんなにピンク色だったとは?処が満開になると真っ白い花びらが得意げに花開く。それが本当に見れるのかな?
大阪城内堀の中は正真正銘の大阪城内。ここに天守閣が在る。ただこの天守閣は秀吉の時代の物では無い。当時の天守閣は家康の策略で焼け落ちただけでなくこの堀は埋められ、石垣迄もが取壊される。これが現在人には理解出来ない。
権力を叩き潰すと言う事はそう言う事。この石垣を基礎から造り直させる。その事を家康の家臣団でなく家康に対抗した西軍の大名にやらせた。その事の凄さは現在人には理解出来ない。勝者と敗者が何百年も逆転しない経済破綻のもくろみ(目論見)策略。
それがこの国の歴史を形成した?その徳川の時代も国内の反乱ではなくアメリカの黒船で叩き潰される。江戸幕府の終りは明治維新と言われているが、その戦いの薩摩、長州、倒幕の中心人物は意外にも坂本龍馬でもない。
その程度の事も知らない?伝えられていない?朝廷。錦の御旗は担ぎ上げられただけ。その天皇が国の統治者に祀り上がられたのが明治維新?その帝国主義を支えたのも多くの国民。帝国陸海軍、その参謀達が如何に愚かだったもアメリカに叩き潰される迄、国民は理解出来なかった。
それでも大阪城内の広さは広い。秀吉の時代はもっと広かったと言われているが現在の広さは徳川の時代から。ただ大阪城は江戸時代にはその豪華な城壁とは裏腹に城主は居なかった?その程度の城。城の守りもささやかだった。交替で大阪城代は江戸幕府に派遣されていた。
その当時から大阪は商人の街。武士は治安を任されて居ただけ。大阪は商人の街。東京が全国に指示を出す。その徳川幕府も人々の豊かさを疎かにするだけだった。大阪では大塩平八郎の乱があるが大した反乱が起きなかったのは商売で経済が成り立っていたのだろう?
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