目覚ましの時計が停まっていた。起きたのは3時前。朝ではなく夕方。オイ。
一眼レフの電池を充電中のままカメラに戻さず。気が付いた時は最寄りの駅のホーム。アチャーどうする。携帯のカメラで辛抱するか?そう思って電車に乗り込むが携帯のカメラでもこれだけでオシマイ?ゲー。どうして。それも閻魔大王の悪口ばかり言っていた祟り?そん事はネエだろう?
今日の予定は昨日の続きだった。現在信じられない事に高齢化社会の対策が殆ど進められていない?それはどういう結果を招くのだろう?深刻な高齢者介護が自己責任で行われる?信じられない現実が既に行われている?その事を知らないだけ?知らないと言う事はそう言う事?
今も昔も介護の現場は厳しい。しかしその厳しい現場は殆ど知られていない。尤もらしい顔をして尤もらしく生きている様な人でも介護の問題は避けて通れない?それがどうして社会問題にならないのか?それが不思議でならなかった。
ところがこれからその問題が自分に降り掛るとなると知らないでは済ませれない?それとも済ませられる?どっちゃ?分らない?アホと言う事はそう言う事だろう?医学が発達して病気の回復が進めば皮肉な事に更に問題は深刻になる?
それでも関係無い?知らないと言う事は本当に深刻な社会問題となる?そんな事もどうでも良い?親父は元々健康で病気知らず。それは親に感謝しないといけないがそれでも老いると言う事は如何ともし難い?その対策は自己管理?自己管理が出来れば90手前迄は何とか元気に生きられる?そう思っていた。過去形。今はそうは思わない。
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