(全ての人が兄弟になる)ベートーベンの言葉は来年はどうなる?
今年納めの散歩に出掛ける。今年、イベントの変わり目に見上げた鬼瓦は親父の顔を見ながら哀しげに暗い表情をしていた。それでも世の中は笑いに溢れている。歓びが満ち溢れている。そんなオバカな公共放送の歌番組。最近、ほとんど見る事はないがそれでも関係無い?
Eテレの第九を聞いている。知らなかったドイツの指揮者。元ピアニスト。見事に禿げている。コラ。年の終りにこんな素晴らしい演奏が聴けるのは来年も捨てた物では無いとベートーベンが教えている。「希望ある限り若く失望と共に老い朽ちる」
これは現役時代創業者の会長から教えられたアメリカの詩人「サミュエルソン」の言葉です。来年も多くの失望が覆い重なるがそれを撥ね除ける不撓不屈の精神と経済力が求められている。経済力?なんだかんだ言った処で世の中は金が無ければお話しにならない。その程度の事も関係無いと考えているオバカも少なく無い?そんな生き方は軽蔑すれば良い。
山裾の散歩道も落ち葉が綺麗に掃き清められている?ところがそうでは無い。送風機で吹き飛ばされまとめられてかたずけられているだけ?その程度しか出来ない?美観を保つと言う事はそう言う事?その程度の仕事しか求められていない。
働き方改革?その働き方は誰の為?その主は労働者である事を殆どの人が知らない?働き方改革で何がどう変わるの?その程度の事も理解されていない?そんな政策が支持される?違うだろう?バカその物の生き方しか出来なければその結末は見えている。
白雪山「陽春寺」誰よりも早い初詣を済ませる?未だ新年ではないので終い詣?今年1年ありがとうございました。親父の菩提寺は禅宗(臨済宗妙心寺派)ここは曹洞宗。それでも京都宇治の黄檗(おおばく)宗とは三大禅宗。今年は多くの教えを学んだが、人は何故に生きるのか?生かされているのか?その事を教えてくれた静岡掛川大雲院の大和尚は偉大な和尚でした。長い廻り道をしながらやっと理解で来た気がする。
石畳。緩やかな下り。時雨の後で少し濡れて足元が滑り易かった。見事に両足が地面から離れて尻餅を付く。尾低骨直撃。辺りを見渡しながら苦笑していた。先日と同じ転け方。違ったのは骨の直撃。当たり方?今回は痛かった。
それでも瞬間的に受け身の体勢を取っていた?そうでないと年末の病院送り?まさか?滑って転んで大分県。第九も終りです。クリストフ、エッシェンバッハさん。お見事でした。何だかんだ言いながら今年の年の瀬は静かです。明日は新年。明けましておめでとうございます。何がメデタイのかな?そんな年にするな。
池田のミカン。特産物にする?無理だと言う事が分からない?今年はミカン一袋500円を超える物もスーパーで見かける。コタツで口にしていたミカンはおっかあは箱で馴染みのおばさんから買っていた。あの美味かった静岡のミカンは今は口にする事は無い。
和歌山有田のミカンも高級品は口に出来ない。スーパーで買う熊本産も美味しいミカンは中々口に出来ない。これからは美味い物が食いたければネットで注文?ただジジイは情け無い事にネットで物が買えない。どうして?信じられない。ネットでブログを毎日書いているくせに。嗚呼。
もうすぐ春が来る?しかしこの老木の春は期間限定。2年?3年?桜の生命力は本当に強い。幹が生命力を失っても若い枝は伸びて来る。その元気の源は何だろう?その生命力の強さは幹が枯れても朽ち果てる事は無い。そんな証明をこの公園で見る事が出来る。
しかし人間はそうは行かない。その事も忘れ去られている。花の精は今は息を潜めて春の訪れを待ちかねているが、その時は未だ影も見えない。それでもこれだけの苔と草を実にまといながら、厳しい寒さに立ち向かっている。立ち向かう?トンデモありません。
そんな声が聞こえて来る?困難に戯れる?この言葉を教えてくれた守谷は今、何処の空で同じ言葉を口にしているのだろう?若くして工場だけでなく全国の生産工場のトップを走り続けた吉田も今は何処の空で新年を迎えているのだろう?
どんなに成果を叩き出したとしても企業の思惑は非情。ブラック企業が減る。このオバカなコンサルタント。そんな思惑は何時迄も続かない?それとも何も変わらない?それも来年の課題?どうかな?
それでは今年も後少しでオシマイ。又、リセットされた新しい年がスタートします。親父の新年の始まりは今年は覚えていないが来年は決まっている。それは何を祈念するのだろう?それは18の時に大阪に出て来た時と変わらない。
そしてそれは命ある限り変わら無い。違いない?今年も天、困りの1年でした?てんこ盛り。ダジャレかいな。年越しのうどんは久し振りの五木の鍋焼ききつねうどんです。知らん?アホやのう。製造者五木食品。熊本県熊本市。久々の味は変わらない。
この階段は足を滑らすとただでは済まない?下迄転げ落ちる。そんな人は未だ見ていないがいずれ間違いなく落ちる?大分弁では(ほらけ落ちる)落ちるにほらけがつくのが大分の田舎の言葉。何とも味わいがある。落ちるにあらず。ほらけ落ちる。落ち方がひどい時にぴったりの言葉?今は子供達も知らない?
それでは今年も体に気を付けて元気に過ごしましょう。今年は多くの人が馬鹿笑いをしないで普通に生きられる社会になる事を願っています。オバカな報道のプロパガンダ(宣伝)を意識しながら生きて行きたい?新年早々ネガティブな発想?オバカな馬鹿騒ぎも一時です。
今年はアホは生き残れない?それとも何も変わらない?そんな訳ねえだろう?その程度の事も分からない?かもしれない。人の事を批判しないで楽しく生きる、新年の課題。それには余計な情報を無視する。それが一番大切な事かもしれない。
ただそんな生き方はこの親父には出来ない。人間万事塞翁が馬。禍福は糾える縄の如し?新年のそんな日々が重なる?どうかな?それは切ない定めかも?運命を切り開く?多くの人が新年の抱負を口にするけれど、親父の人生もそろそろゴールが見えて来る?それとも競馬で言うと第4コーナーを廻って直線の叩き合いが始まる?直線は400メートル?どうかな?
| 固定リンク
コメント