体が悲鳴を上げている?それでもこの時期が勝負?体を痛めつけろ?
箕面滝道龍安寺(りゅうあんじ)本山修験宗(修験道の1派)の道場。この手前に本堂を建立されているので、この場所は一般の観光客は立ち入る事は出来ない。社務所で以前聞いた時、この道場で修験修行も行われていないと言われていた。
この寺院の開祖は役行者。ここで多くの宗教の指導者が修行をしている。弘法大師は言う迄もなく空海。智証大師は最澄。では千観上人は誰?そう思いながらこの看板を見上げていた。(千観上人は現在その遺徳を殆ど知られていないがネットで調べると凄い人です。平安の時代にもこんな人が居た事を親父は知らなかった)
体調が良くなく(気合いが無い?靴底の凹みが気になる)自分で言い訳をしながら昨日はこの階段に挑戦出来ないと諦めていた。帰りの横目で見ていると女性のカップルが降りて来る。その元気さに引き寄せられる感じで階段の下に立つ。それでも躊躇していた。その厳しさを知っているから?
その時、背の高い若い男性がこの看板を見る。そして止める。情け無い?あほ。それでは行きましょう。背中を押される。それでも途中で引き返せば良い?そう思っていた。一人で登るには余りに厳しい。最初は最初の引き返しポイント。(100m登った先)次は中間点。(200m)そこ迄行けば引き返す気持は無くなっていた。
この時点はまだ入り口。競馬で言えば第一コーナーを曲がった所?そう言われても分らない?この突き当たりで引き返す事を考えていた。それ程に昨日は気合いに欠けていた。ところが頭の上を見ながら写真を撮っていると意外に足は上がる。
息が上がると歩けないが足が上がると元気が出て来る?人生も同じだな?諦めるとその時点で終り。多くの現在人が長生きは出来ても歩けなくなる事が良く分かる?高齢者になっても車の免許証を返上出来ない?お前も同じじゃないか?
それでも車は運転出来ない。何故?ジジババが車の運転をしている心境が分らない?ろくに歩けもしないで車の運転は出来る?アホでしょう?車は文明の利器と同時に凶器。その程度の事も分らない?車がないと生活出来ない?そんな生き方しか出来なくなっている?
いずれそんな生き方も出来無くなる。その時どんな思いで生きるのだろう?そんな事はどうでも良い?その程度の事も分らなくなる。地獄の階段を踏み外すとどんな世界が待っているのか?そんな事もどうでも良いのだろう?人として生かされている事すら知らない?
山は大きな樹が強風でなぎ倒されている。こんな景色もこの階段を登らないと分らない。来週は寒くなる。一時暖かな陽気が続いていたが本格的な寒波がやって来る。オバカな現在人の生き方が問われてもその程度の事も分からない?
今、関西テレビ(東京ではフジテレビ)の競馬中継を音声を消して見ているが(チラ見)今日はこれから散歩に出る。寒さに負けない体力を付ける喜び?その程度の生き方しか出来ない?それでもこれから一番求められる事は健康寿命に違いない。その為には体を鍛えろ?そう言われていた。
ここ迄来れば引き返す事は眼中に全く無かった。この急な階段を登り詰めればゴールは近い。2度程コンクリートの手すりに腰を降ろしたが、それでも上等。行き交う人は流石に少なかったがそんな事も全く感じられない大木が静かに見下ろしていた。(大丈夫か)そう言われていた。
ご苦労さんでした。しんどかったけれどタカが400メートル。されど380の階段の段差は半端では無かった。役行者はこの山で入滅しているがその場所はもっと高い。その場所迄歩くには片道4㌔。春、木々が芽吹く時歩ける体力を手にしないといけない。?
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