宝塚北部振興何も進んでいなかった。お寺さんも名前だけしか残っていなかった。
今年も後1日。定時放送も都会から地方の大移動の出来事を報道しているがその殆どが定番。親父達が若い頃大阪から九州大分佐伯迄夜行で17時間。それが今では直行の急行は言う迄もなく特急も博多迄。小倉で新幹線乗り換えで五時間。多くの思いが重なりそして離れて行く。
今は全く関係ない。両親と妻もその両親も今は親父の不死身な無様な生き方を笑っている。ご案事召されるな。いずれそちらに参る。今年も色々な事があり多くの出会いがあったが、巡り会う事は長い間途絶えている。それも全てが偶然でなく必然。その程度の事も超能力で獲得出来る人は否定されている。誰に?それが問題だろう。
阪急バスに吸収されたこの地域のバス会社の歴史は古い。この地域は現在では信じられない程に多くの人が住んでいた。その人達の交通手段は現在の様に車社会ではなかった。乗り合いバスをこの地域の有力者がお金を出し合ってバス会社を設立したのは何時の事だったのだろう?
そのバスも現在は阪急バスに吸収されているが、バス時刻表は約1時間に1本。これ以上過疎化が進むとバスの間隔はもっと厳しくなる。その時、この地域はどんな形で活性化されるのだろう?その設計図を行政は指し示す事が出来ない。
それでも行政は手をこまねいている訳では無い。色んな形でその対策を実施しているが残念ながらその成果は芳しくない?どうしてだろう?その事はこの地域の素晴らしさを知った数年前から理解出来ていない。そしてその答えはこの地域だけでは無いとサジを投げていた。
どういう事?地方は活性化出来ない?その理由は単純明快。誰もそんな事は真剣に考えていない。一番考えなければいけない地域の高齢者はその能力が無く、どうでも良い中央の役人と政治家(総理大臣迄)が政治問題、地方の活性化問題に利用している?
今一番大切な事?それは発想の転換。地方と都市部の高齢者の楽天地の創造に違いない。その程度の発想は都会人にも出来ない。こんな素晴らしい自然が身近にある事を全く知らない。都市部の高齢者が元気に生きる本当の素晴らしさを知らないのだろうか?
歩けなくなればどんな生き方をしないといけないのか?その事を知らないといけない?無理か?そんな事は無い?偉そうな事を言っている親父でも今年の6月から3階の部屋に住む様になり、階段の登り始めに不自由を感じている。膝関節、筋肉がすっかりやせ衰えている?
今年は本当に良く歩きました。歩きながら考えた事は自分自身の事。人の事は何だかんだぼやいては居たが、有り体(正直)に言えばどうでも良かった?それだけでなく完全に無視していた。この事は来年も変わらないに違いない?それでは地方は過疎が加速する?(ダジャレかいな)
それでもそれも自業自得。何もしないで他人事みたいに思っていると本当に歩けなくなる。それだけは何としても避けないといけない?そう思いながら1日2時間五㌔の目標達成。来年は3時間7㌔?それでも何も変わらない?それでも自分が元気で不自由なく生きれたら、それで充分だろう?
「県立宝塚西谷の森公園」この公園の素晴らしさは聞いては居たが場所が分からなかった。それだけ田舎。バス停から7、8百メートル。それでもこの公園はどれだけの人が利用しているのだろう?県立とは兵庫県。大阪府立でないから大阪人は知らない?その程度だろう?知らないと言う事はそう言う事?兵庫県も大阪府も無い事を思い知らされる。
東の谷があると言う事は西の谷があると言う事。しかし今日は初めてで土地勘も無くセンタ−の散策道を上の展望台迄歩く。緩やかな散策の道は整備されていて気持良く歩ける。と思ったのは途中迄。最後は流石に息が切れる。次は中央の展望台から左にあるけば西の谷を歩く事が出来る。
展望台迄1㌔強。往復2㌔強。侮っていた。しかしこの感覚すら無い高齢者も少なく無い。それは歩かないから。歩けないくせに口先だけは達者。歩く事はそれ程に楽では無い。しかも山道。公園の道。アスファルトの道。砂利道。土の道。全て違う事は歩かないと分からない?
人気の全く無い散策の道。左に溜め池がある。この池は遊べない。その証拠がこの木の柵。対岸は歩けない。人気が全く無い静かな年の瀬。この瞬間は今年の最大の褒美だったのかもしれない。贅沢な時を実感していた。
数年前に見せてもらった西宮名塩の人間国宝に教えてもらったガンピの木を初めて目にする。谷野さんは何気なく紙すきの技術を見せて呉れたがこの木の繊維を混ぜる技術は考えた人が素晴らしい。西宮名塩の紙すきの技術は伝承されるのだろうか?息子頑張れよ。
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