箕面滝道 滝迄は通行止め 親父の目的地は「西江寺」そして紅葉
箕面滝道はもうすぐ見事な紅葉が見頃になる。この写真はその滝道の上。西江寺の経済。このお寺が滝道しか歩かない観光客は殆ど知らない。しかしこのお寺さんは「役行者ゆかりのお寺」但し伝承。信じるか信じないかは人それぞれ?
それ以前の問題かも?しかしそんな時代は現在も面々と受け継がれている。知らないだけ?そんな生き方をしている?これだけの美しい紅葉がタダで見れる?タダでも見る気は無い?そんな罰当たりも居る?人の生き方は様々でも何時迄も続く事は無い?その程度の事も知らないのだろう。
役行者が「歓喜天」と対談したと言われている岩がある。役行者はスーパーマン。大阪南部で人々を煽動したとして伊豆大島に流されたと言われているがそれもウソかマコトか分からない。ただ間違いない事は終焉の場所はこの箕面の山とも言われている。
その墓がある。親父はそこ迄行っているが関西人でもそんな人は多くない。ただそんな事は何の自慢にもならない。確かに。罰当たりの生き方は本人が自覚しなければ何も分からない?あった事も無かった事にすれば何も咎(とが)められる事は無い。そんな無様な生き方でもつべこべ言わせない?
山頭火の句碑が残されている。初め来た時には読めなかった。山頭火がこの句会に呼ばれたのは放浪の詩人と言われてある程度有名人になっていた頃の俳句?しかし親父の知識では何とも女々しい。ただ自由奔放の生き方の中に歴史に残る素晴らしい句がある。
「分け入っても分け入って青い山」。この石碑に彫られている句は山頭火が乞食坊主の姿でこのお寺に立ち寄った時に書き残したもの?「みんな洋服で、私一人が法被(はっぴ)で、雪がふるふる」心も体もボコボコに寒かった様子が窺える。それでも感謝の気持は切らしていない?
ここは府道。これから多くの車は紅葉見物に走り抜ける。ハイキングコースはこの先再び山の中を抜ける。この道を初めて歩いた時は何処に抜けるか分からなかった。あれから何度も歩いた道をこれから歩く。
杜は暗かったけれど今は明るくなっている。しかしそれは問題が解消した訳ではない。問題は何も解消してはいない。それなのにどうして?それはこの先を歩いてみれば良く分かる。大事な松の木が朽ち果てても杜は再生している。
そんな当たり前の事を見失っていたのかもしれない。その事はこの杜を歩いてみれば良く分かる。何も偉そうに語る事は何も無い。それでもその事を笑いながら語れる事はないに違いない。その為の絶対的条件はしっかり歩ける事。それが出来ている間は誰にも口出しは出来ない?
いずれこの道も荒れ果てる?大丈夫?人が歩いている限り道は消える事は無い。人の行き来が絶えると道も絶える。日本全国の山道もどんどん消えて行く。年寄りは言う迄もなく若者達もこんな道は歩かなくなる。この道を案内した娘も年を重ねると歩く事も出来無くなるのだろう?
歳を重ねると言う事はそう言う事?違うだろう?いずれその事を思い知らされる。ただその時にこの国の生き残りの人達はどんな生き方が出来るのだろう?余計なお世話です。この先もゆっくり歩いたので息切れは無い。健康食品の宣伝効果は抜群?儲かってしょうがない?本当の健康法は(五穀絶ち)木喰健康法お教えしましょう。アホこけ。
山は都会で暮らしている人には分からない新陳代謝を繰り返している。ここはまだ大阪北部の住宅地の上だが、この奥は深い尾根に続く道。その近くの道が車道として切り開かれている。しかしその杜でも厳しい現実がある。そんな道に足を踏み入れる人は限られている。その程度の生き方しか出来ていない。
短い杜を抜ける。この先は宿泊と食事が出来る施設の駐車場を抜ける。このマップも何の役にも立たない?エリアが広過ぎて肝心の所要時間が良く分からない。しかし親父は何度も歩いているので何の問題も無い。ガイドが出来る。
この街の観光施設案内のガイドは居るが御世話になった事は一度も無い。団体で事前の申し込みが必要。個人は対応出来ない?親父の様な人は居ない。やりますか?やめときます。どうして?面倒?相手を選ぶ?それはアカンワ。街の観光協会?何の役にも立たない?
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