夏が終る?政治は夏休み?今日は何処迄歩く?
ここは猪名川。向うは大阪伊丹空港。今読んでいる本は鴨長明(方丈記)だけれど長明が見た川の流れは京都鴨川?それともその川に合流する高野川。(そんな事を言われても分から無い)京都を知っている人でもその合流部上の上賀茂神社を知る人は少ない?(そんん事はネエだろう?)
鴨長明(方丈記)と言われても多くの人は知らないが、この本を読んでいると多くの発見がある。何よりも驚いた事は作者自身がこの本を書いたのは後世の人に多くの事を言い伝えようとした事。彼自身が現在人と何も変わらなかった事。
多くの運命の悪戯。天変地異の無情とその災害の大きさ。それは人の人生だけでなく世の中の全てを変える事を教えている。親父の好きな「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」この川は川ではなく河。この言葉の重みを痛感していた。
川は小さな流れ。河は大河の流れ。当時の賀茂の流れもそう言う意味で作者は大河と感じていたのだろう?彼自身、数々の悲運に押し流された事、虚しく老境に達したと解説されているが、実際はどうだったのだろう?その事はこの随筆(方丈記)をもう一度読み直さないと分からない?
遠くに生駒の山が見える。この山の向うは奈良。猪名川は堤防が整備されて洪水の心配はないが、この川の中の堆積土砂と草むらはどうして放置されるのだろう?それだけの必要性が無い?お金が無い?そんな事は無いだろう?災害は忘れた頃にやって来る。その危機感が無いだけに違いない。
ここは猪名川のスーパー堤防。この堤防が整備されたのは何時の事か分からないが、この堤防の下は工場、倉庫と住宅地が広がる。その向うが六甲山。この北摂、伊丹の地域は歴史上は西国と大阪、京都を結ぶ重要な拠点であるが、今でもその事は何も変わらない?ただその事は殆ど意識される事はない。
昨日は伊丹街道を歩く予定だったが、途中で堤防の上を歩いていた。ここは川の中にこれだけの草むらが残されている。ここは川の中。河川管理者は国土交通省猪名川河川管理事務所。彼等はこれで飯が食えている。どうして川の中を綺麗に整備をしないのか聞いてもとぼけた答えしか返って来ない?
これはここだけの話ではない。全国何処でも同じ。川の中は大水が出ると当然ここは水没する。それでもそんな時は数年に一度。そんな対策は無用?誰がそんな河川管理を認めているのだろう?そんな問い掛けは全く聞かれない。そして洪水の大災害が発生してもその責任は誰も問われない?
ここも川の中。本流は正面の堤防のずっと下を流れている。この景色は全国何処でも見れる。ただここでは本堤防が簡単には崩れない?嘘です。ここでも100年に一度の大雨の洪水が流れ下ればそんな事は言えない。
その時河川管理者はどんな言葉を口にする?(想定外の大雨)?樹ぐらい切り倒しなはれ。草ぐらい刈りなはれ。この下流にもっとひどい現場を見る。河川管理のお粗末さは全国共通。こんな無様な河川管理が許されるのは地域住民の声が全く無視されているから?そうでは無く地域の人達もこれで問題だとは思わないから?
向うに立派な河川敷きのグラウンドがある。この川を数年に一度のまとまった☂が流れ下れば冠水して使えなくなる。その時はこの場所を借りている行政が補正予算を組んで整備する。河川管理者の国土交通省は全く関係ない?バカだろう?バカです。
それが実態?どうしてこの程度の事が改善出来ないのだろう?お役所仕事はその程度の事かい?松井さん?(大阪府知事)ここは兵庫県?関係ありません?兵庫県の知事は?そんな事は全く知りません?嘘でしょう?そうかも?
ようやく伊丹市到着です。流石に足が上がらなくなる。それでも歩いた距離は7キロ足らず。途中から伊丹街道からはずれるが方向は間違う事は無かった。阪神淡路大震災で甚大な被害を受けたこの街も今はその面影を全く感じる事はない。
以前この街の行政でこの街の有名な有岡伊丹城の話を聞いた事がある。信長の圧力で無様な逃亡をした荒木村重。彼の波瀾万丈の人生を知る人はいなかった。それでも伊丹の史跡調査の仕事はできる。有岡の城は落城と共に秀吉に叩き潰され、明治の時代に国鉄福知山線が城址の多くを鉄路にしたので今は小さな公園がその歴史を思い起こさせるだけ?
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