夏バテ?まだ早い。梅雨が明けて旧盆が過ぎて9月になってから?
夏バテはまだ早い?それではこれはどうだ?これもまだ早い?観賞用?大阪の暑さは日差しは弱いが蒸し暑い。今年はサングラスを落として手にしていないので眼は眩しい。それでも眼の調子は良い。有難い。
親父は小さい時から目が弱点。口は今では達者だが現役時代は(訥弁)だった。今では考えられられない訥弁?この字も読めないだろう?(とつべん)意味は?話し方が滑らかでない?聞き苦しい?親父の場合は言葉に詰まる。吃音(どもり)の典型?
それでも日常会話に苦労をしなかったのは、意識して詰まる言葉を避けていた?それも今は全く感じられない?この蓮の花はその事を祝福している?もっと人をその気にさせろ?言葉は本当に大切です。
人の気持を汲み取る事は言葉無しには難しい?その反対(口先だけ)はもっと難しい。それでも人は甘い言葉には騙される。その事を教えてくれる人も多くはない。何故だろう?その答えは簡単。甘い言葉は聞き易く、きつい言葉は聞き辛い。
小さい時に学んだ教え?「こっちの水はあ甘いぞ」ホ、ホ、ホタル来い。その程度の分別も無いオバカが多い。?無分別?そんな言葉は知らない?政治家が舌を出して分かっている。マスコミも同じ事を言っている?マスコミの政治批判は当たらない?そんな甘い言葉もそろそろ言えなくなる。
「心に迷い起こらば困窮したる時を思い起こすべし」この言葉は家康の遺訓だが皮肉にも徳川の時代は身分を固定しただけに終る。その徹底した身分制度は家康の最大の間違いであった?そんな歴史の教訓は現在では何も生かされていない?そんな古い話ではない。たかだか数百年前の話。歴史を知らないと国は滅びる。その言葉も間違いに違いない?
閻魔大王にそんな問い掛けをして叱られる。(お主の考えは間違っとる)体をゆらしながら眼を吊り上げていた。それでも親父は怯まない。「地獄、極楽の裁判は冥土だけでなく現世でも行いなはれ」偉そうにそんな口を利いていた。
中山観音の素晴らしい所は京都や奈良の観光人員と全く違う。観音様だから安産祈願の人で充分採算が成り立つ?アホンダラ。そう言う問題ではない。京都と奈良の観光寺院と根本的に違いは(観光客が居ない)事。京都と奈良の神社、仏閣はその程度のお寺さんと言う事だろう?
流石に境内も人影が少ない。ここから奥の院は18丁。2キロ弱。頑張って歩く?訳が無い?今年の奥の院参拝目標は3桁だったがとても難しい。それでも観音様は優しく見守っている。そのお礼に白梅公園を貸し切りハーモニカの演奏をする。入場者無し。それでも爽やかな風が吹いていた。
梅の枝の剪定もまだ先?それでもこの公園の梅は毎年綺麗に剪定される。そうしないと梅の花は咲かず実もなる事は無い。今年の梅は和歌山の南部でも水不足で例年の収穫量には遠く及ばぬ不作だったが、ここではどうだったのだろう?ここはお寺さんの梅園。そんな邪念は無用だったのかも知れない?
ここにも藤棚がある。この公園で肩を並べて静かな一時を過ごす事はもう期待は出来ない?それでもハーモニカの演奏は出来る?今は人には聞かせられないけれど観音様は耳を峙てて(そばだてて)いた?この言葉も死語になっている?耳を峙てる?(耳を澄ませる?聞き耳を立てる)
海の日と言われても海を見る事は無い。(ミカンの花咲く丘)ハモニカで吹ける様になる。その独演会も一人でハモニカの唾(つば)を手で叩いていた。物音が何もしない静かな公園が賑やかになる事は当分無い。こんな素晴らしい環境を貸し切りで出来る贅沢にニンマリとしていた。
しばらくハモニカを吹いて腰を上げる。このベンチも初めて腰を降ろす。ここでぼんやりとしていたのは半時。半時(はんとき)とは現代の時間の単位では無い。江戸時代の時間の単位。当時は昼間(明け六つ)と夜(暮六つ)に分けていた。
その一時が約2時間。その半時だから1時間。その後、この階段を踵を着けながらゆっくりと降りて行く。頭のてっぺんに刺激を与える。減量の成果は出ているがまだ1キロ弱。それでも背中の贅肉はまだ落ちていない。この脂肪が筋肉に変わる時、体型は変わる?アホ。
山門の仁王もムクゲの花も(考え方を変える事が肉体改造の始まり)と囁いていた。(ささやいていた)山門の仁王とはお友達になっているがムクゲの花とはどうだろう?夏の花?花言葉は信念。新しい美。ジジイがいくら頑張ってもそれは難しい。それでもこの暑さに負けない体力は新しい武器に違いない?仁王と競いますか?それは無理でしょう。
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