久々の京都嵐山、嵯峨野、大覚寺。暑かった。そして無惨な姿を晒していた?
何年ぶりかな?久々の阪急嵐山駅。阪急京都線桂駅乗り換え。結婚前4年間。京都に住んでいたので京都の事は詳しいと自負していたがそれもジジイのセリフ?すっかり様相が変わっている。先ず阪急京都線の特急が桂に停まる?
親父が若い頃は大阪十三(じゅうそう)を出ると京都大宮迄停まらなかった。ところが今は昔の急行の停車駅「淡路」「茨木市」「高槻市」「長岡天神」「桂」と停車し京都大宮には停まらない。嘘だろう?本当です。しかもこのダイヤに成って相当のときが流れている。
昔の急行は無くなり準急とやらが幅を利かせている。当然特急は満員。それは昔も同じ。阪急の旅客サービスも昔の面影は無い?関西には阪急、阪神、京阪、近鉄、南海の私鉄大手5社が凌ぎを削っているがそれも昔の話?今はドングリの背比べ?そんな事もどうでも良いのだろう。
阪急嵐山駅から正面の道を右斜め前方に歩くと(桂川)に出る。その手前に中之島公園がある。ここは既に桂川の中?大雨が流れ下るとここは濁流と化す。自然の猛威は川の水位が低いと全く感じられない。
大雨が流れ下ると上流からの流木がこの橋脚に引っ掛かってこの橋の根元を揺らす。先の水害は4年前の事。当然その対策を実施しなければ成らないがその事業は案の定?何も為されてはいなかった?河川管理者は出来る事は行ったと言い切るのだろうがそうは感じられなかった。
渡月橋のすぐ上にこの堰が在る事は京都人でも多くは知らない。この堰の歴史は古いがその目的は農業用水の確保。この堰のお陰で京都西山地域の農業は昔から繁栄している。それだけでなくここで川の流れをせき止める事で昔から雅(みやび)船遊び等が楽しめる?
しかしこの堰が原因で4年前の水害で左の川下の旅館と土産物店、温泉宿は壊滅的な被害を受ける。それはこの堰が固定堰の部分が大きいから?ここはゲートが電動で上げる事が出来る。しかし多くの部分は固定。これでは大水が出た時水位を一時的に下げる事は出来ない?
その為にはこの堰を可動堰に変えるしかない?しかしその工事はこの地区の景観を損なう?そんな観光業者、寺院の意見が強く何も変わっていない。この場所に立ちながらしばらく考えていた。結局4年前と同じ大雨が降る事は確率的には低いと判断されたのかも?
手前にあるゲートは洪水の時は上に上げて水を流す。同じ物が対岸にもある。ただこの中間に同様の堰を造らないといけない。それが可動堰。今は立派な可動堰が近くの猪名川にもある。ただそんな立派な堰をこの地域の有識者は知らない?
知っていても学ぶ気持は無い?何故なら再び大きな被害が出ても彼等は困らない?4年前の被害者も行政の補償があればそれで仕方が無いと考えている?ただ本当の事は誰も説明は出来ない?行政の責任者も河川管理の担当者も上流に大雨が降らない事を祈るばかり?降ったとしても可能な対策は取っている?
渡月橋の上はここが中国の観光地かと錯覚させられる?行き交う人の多くが外国人。意外に白人も多い。平日の午後だから当然と言えば当然?日本人のジジババは流石にこの暑さには対抗出来ない?ただバスに乗ると何故か居る?そしてじろじろと観察される。
確かに頭にタオル。カメラをぶら下げていると(アンタ誰?)聞きたくなる?ただ基本的に親父はジジババとは話はしない。(コラ)娘が話し掛ける訳が無い。当たり前。勿論そんな期待もしていない。興味があっても無視を装う。アホ。それでも一期一会。それはそれで楽しい。
主(ぬし)登場?ぬしも貫禄が無い?この上流は(保津川)今でも川下りは人気だしトロッコ電車も盛況?だがこの下流は桂川。鮎釣りはしていたが釣果はどうなのだろう?そんな情報は全く手に出来ない?そんな事もどうでも良いのだろう?もう一度出掛けないと本当の事は分からない?交通費、取材費が問題だな?アホ
前のブログで何度も記事にした言葉(大井堰)その言葉は間違っていた?ウィキペディアで検索してみるとその間違いの原因が良く分かる。正確には「一ノ井堰」5世紀の昔、朝鮮から帰化してこの地域の有力者となった秦氏が築いたと言われている。
秦氏とは何物?その事も調べて見ると面白い。オバカな現在人?歴史を知らない日本人は朝鮮民族を差別して馬鹿にするが歴史を知ればそれが全く間違いである事を思い知る?自分達の祖先は何処から来てどんな素晴らしい生き方をしたのか?そんな事が問われる事も知らないのだろう?
この後大覚寺迄歩く。バスの乗り場で時間を見るが日本人でも分からない?京都市バスと京阪バスがあるがどちらの同じ。大覚寺のガイドマップで検索すると徒歩30分?これはきつい。方角は分かっていたが遠い。近くで子供を捕まえて場所を聞いても(知らない)。頼りになったのはオジさんだった。その記事は又明日。
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