今年はカラ梅雨?花の寺紫陽花も元気無し?
こんな田舎でも立派な道が出来ている。この上には僅かな人しか住んでいない。しかもこの正面の五月山に分け入る散策の道もない。昔はこの山も生活の糧だったに違いないが、今は持ち主でも足を踏み入れる事は出来ない?この尾根道には車道が切開かれている。
道は造れても整備は出来ない?日本各地で見せつけられる光景。その事を指摘する人も少ないが、指摘されても行政はとぼける?弁解さえも出来ない?ここの管理者さえも分からない?この先は一気に歩道が狭くなる。これも日本全国何処にもある風景?それでも地方は豊か?何も困る事は無い?嘘だろう?
この道を始めてレンターカーを連ねて走ったのは半世紀前。1人になって大阪に戻って来て寂しさを紛らわしながら愛車を飛ばしたのは20年近く前。初めて歩いたのはどれ位前だったのだろうか?この歩道の狭さに首を竦めていた。今は子供達でもこんな道は通らない?ただし狭い道もこの先迄。その先は又、広い。
ただこの先は又しばらく歩道は白線の僅かな内側だけ。ガードレールも何も無い。この道は大型ダンプの交通量も多い。それでも道幅が拡張されないのは山間の道だから?この先に花の寺(久安寺)があるが、その先を歩くと命の保証は無い?いずれその証拠をお見せする?
歩くのかい?歩かないと証明は出来ない?止めなさい。バスで行けば分かる。そうしますか?賢い?一番前で写真を撮りましょう。但しバスの時間は1時間に1本。あるのかな?この山間部は長くは無い。その先には広い里山が広がる。親父の田舎と似ているが微妙に違う。その散策はまだ始まっていない。
この集落の主(ぬし)の家?それはまだ確認していないが立派なお家。この先の集落の石垣の草むしりをしていた奥さんに「ここは限界集落では無い」と言われた事がある。確かにそうかもしれないが後10年もすると、その確率は高い。ところがそれでも何も困らない?その程度の事が誰も分からない?
この通りの真ん中で写真を撮っていて、住民のジジイ(コラ)の車に警笛を軽く鳴らされた事がある。警笛を鳴らさなくても気配で分かるとぼやきながら道を空けると、会釈もしないで通り過ぎた事を思い出す。その親父の車も今日は車庫の中だった。人間の命は永遠でない事も意外に知られていない?
遠くの山に箕面(みのお)の滝道から歩いた時にやっとの思いで抜け出した2本の電柱が見える。あそこからこの集落に降りて来る道は無い?そんな事は無いだろうと思っているが、多くの山道が今は途絶えている。この集落が活性化する事は無いだろう?
そんな事もどうでも良い?本当にそれで良いのかと問われても、答えが出る引き出しを殆ど手にしていない。この集落の上の植木の農道を歩いた事があるが山には上がれなかった。素晴らしい環境も地域の過疎が進行すれば様無しとなる?植木の街もこの集落には全く関係がない。そんな事を語る人も親父位かも?アホやのう?確かに。
この素晴らしい山麓を分け入る道が無い?そんなバカな事がないが昔の炭焼きの人が通った道は途絶えている。それでは今は原生林?そんな事は無い。雑木林?この道を切開いて健康増進の道を造れる人は居ない。
久安寺到着です。紫陽花の花の見頃はまだ先でした。例年なら満開の大輪も今年は雨が少なく小振りでした。しかし、そこは親父のカメラテクニック?綺麗な紫陽花をお見せします。でもその前に休憩です。おいしい肉団子食えるかな?
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