これからはじまる大レース。嘶き(いななき)合って犇めく(ひしめく)は?
今回の帰省のもう一つの目的は親父のルーツを辿る旅。自分が元気の時に自分のルーツ(家系)を探さなければいけない。そう思っていた。それが今回も出来なかった。それでも色々教えてもらう事が出来た。それだけで充分。まだまだもっと元気で何度も帰って来いと言われていた。田舎は豊かだった。
国木田独歩の「城山にて」の書き出しと記憶していたがネットで調べて見るとそんな小説は無い?小説家と言うより思想家だったのかも知れない。明治の多くの文豪は結核で命を落としているが、彼も若くして不遇の生涯を終えている?波瀾万丈と言って良いのだろう?現在人からは過去の人?知らない人も少なく無い?
佐伯のホームは1番と2番があり長い間1番が下り。2番が登りだった。日豊本線大分以南は単線だから現在は上りも下りも1番線を利用。駅員も無愛想だった。(それ位の説明もしてくれなかった)駅のホームに国木田独歩の看板がある。文章の紹介通り「城山寂たる時佐伯寂たり」でした。
故郷は遠きにありて思うもの。これは有名な室生犀星の詩。この後に続く言葉は1人になって何度も噛み締めた言葉。「そして哀しく歌うもの」全くその通りでした。「よしや(もしも)うらぶれて異土の乞食になるとても 帰る所にあるまじや」その通りでした。
全く情けない生き方でした。室生犀星は文筆家として歴史に名を残していますが、多くの田舎の出身者は名前すら残していません。今、地方創生とか言われていますが、全く同じ事に違いありません。小倉の駅迄故郷の風景を目に焼き付けながら若き日の思いを思い出していました。そしてこれからの生き方を思い起こしていました。
これから始まる人生の終活。多くの事を語るのは良しとしても体型はスマートにしましょう。故郷を後にした18の時の体重は68。今はナ、ナント入れ替わっている?86。高血圧。糖尿病の一歩手前。(ど真ん中)今日、帰省予算の残りで一番安い体重計とオシャレな歩数計を買い求めました。
目標は18の時の体型?無理だな?禁煙も禁パチも完全達成したので必ず成し遂げるに違いない?その時は又一つ自慢が出来る?誰に?それは勿論アナタ自分自身に対してでしょう。
それが実現した時、故郷創生も間違いなく実現する?それは無理でしょう?「佐伯は城山のものなればなり」地方創生は実現しない?そうで無い事を願っていた。他人事では無い。日本全国共通の課題。大阪、東京でも例外では無い。お土産「ひき茶饅頭」喜んで貰ったに違いない。
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