春の交通安全?お巡りさんに言われる迄もない。警察は何の役にも立たない?
大阪梅田の駅近くで建設中の建物は学校?だった。この駅近くの狭い路地でどれだけの学生がウロウロ(失礼)するのだろう?この様な所にこれだけの学校を造らなければいけない理由?それは一体何?そんな事もどうでも良い。
学校法人はそれだけお金に困らない?ひねくれた考えをすればそんな時代になったのだろう?ネットで調べて見るとこの学校の前総長、理事長は日本社会党の重鎮。参議院議員連続5期当選。しかし、全く知らなかった。その程度の事?現在のこの大学の存在感はそれ程に大きく成っている?
以前この道は歩いている記憶があるが鮮明では無い。大阪駅から東海道線沿いに毛馬の水門を目指していた。この先に淀川の堤防があり明治の中頃、淀川の流れを変える壮大な土木工事が行われている。この辺りも殆ど歩く事は無いが大阪に住んでいる人でも殆ど知らない。
親父の卒業した田舎の学校と同じ名前のモータープールがあり看板を写す。母校の名前も校歌も変わったけれど親父の母校は心の中で生き継いでいる。何でこの名前と思っているとこの地名の南。成る程。親父の母校は豊後の南。
前身は女子校。家庭科と商業科があったが殆どが就職していた。己の可能性にチャレンジした半世紀強は一体何だったのだろう?そんな事を考えてカメラを構えていると管理人に声を掛けられる。
ガムをクチャクチャさせながら不審者扱いをする。しかし親父は平然として反対に色んな質問をする。殆ど答えられずその度に親父の突っ込みが入る。その程度の事でしょう?このモータープールもいずれ取壊される?
公園で子供達が遊んでいる。桜も満開の時を過ぎ大きな木が幹の途中から切り落とされている。正面の奥に淀川の堤防が見える。意外に近いと喜んでいるとそんなに甘くはなかった。ここから毛馬の水門迄1キロ弱。そんなもんだろう。
ここは半世紀前から放置されたまま。親父が大阪に出て来た時からここは中津川の役目を終えていた。その後この景色は何も変わらず。道は狭く整備はされなかった。現在この場所は阪神高速淀川左岸線の延長工事が計画されている。
しかしご覧の通り正面にはJR東海道線。その先阪急千里山線。そしてその先には毛馬の閘門がある。まだ工事は計画の段階。工事の完成予定は定かでない?(この手前の豊崎迄繋がるのが平成32年)この先となると10年先でも難しい。
そもそもこの工事の費用対効果は誰が何処で進めているのだろう?大阪市民の殆どが知らない。淀川左岸線。ネットで調べて見ると正蓮寺川の埋め立ては一体何の為だったのか?その跡地の利用はどうなるのか?その費用は?現場も知らない人も少なく無い。マスコミの報道も殆ど無い。
淀川河畔の整備は徹底して行われていない。ゴミもこの有様。奥にはテントもあり人が住んでいる。公共施設を平然と占拠しても放置すれば撤去は難しい。行政は思い出した様に春の交通安全。マスコミも尤もらしく報道する。
「やら無いよりマシ」?事実は小説より奇なり?警察は交通指導を春と夏のキャンペーン期間しか行わないの?どうしてもっと地道な取り組みが出来ないの?それ位の批判も出来ないのだろう?それとこれとは別?
何事も徹底しないと駐車違反も減らす事は出来ない。我が街の駅前の不法駐車。警察は110番通報をされても毎日は行わない。それで春の交通安全キャンペーン?大阪の交通マナーは最悪。大阪府警は何処を向いて仕事をしているのだろう?日本は安全な国?平和な国?本当にそうでしょうか?
この橋を潜れば本日の目的地毛馬の水門が見えて来る。河川敷の公園も広い。堤防の土手ではカップルがイチャついている。春ですなあ?ただこんなガキを見るとムカついて来る。気持は分かるが見せつけるな。(アホ)見向きもしない。
水門の手前の広い公園では若いママと子供がボール遊びをしていた。ほのぼのとした光景。しかし望遠レンズでも流石にアップは出来ない。この公園の花壇の水仙も期待していたが枯れ掛けていた。流石に季節が違う。
河川敷広場横の桜。青葉と白い花が見事に絡み合っている。青春とは掛け離れたジジイになっても小児の如く求めて止まぬ探究心。そんな生き方をアメリカの詩人「サミュエルソン」は詩(うた)っているが、そんなオモロい人も少なく成りました。これから春を通り越して一気に初夏の気配が感じられる?
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