思い立ったら吉日。まだ余震が続いている大分に帰る。
昨日近くの夕暮れの川原を歩きながら熊本の大地震の被害を心配していた。幸いに親父の故郷は大分県南部の被害は少ないが、墓参りの帰省を考えていた。故郷は遠きにありて想うもの?室生犀星の哀しみは無いが墓参りの事を考えていた。
思い立ったら吉日。20日の切符の手配をする。久し振りに大阪駅に出掛ける。切符の予約は緑の窓口。ここに来る度に感じるのはこれだけネット社会になっても窓口で切符を手にする人が多いのは何故だろう?それだけ便利な文明の利器を使いこなせる人が少ないと言う事だろう?
季節は一気に初夏に近づいていると言うのにこの天災をどう受け止めれば良いのだろう?大阪に住んでいると「緊急地震速報」が出ても緊迫感は何も無い。しかし親父は他人事とは思えない。明後日帰って早く墓参りが出来る事を祈念している。
城跡公園の枝垂桜も終りを告げている。これから一気に暑くなる。そんな季節外れの天候に振回されるのだろうか?マスコミの情報分析が全く期待が出来ないとしたら何を指標にすれば良いのか?その見極めも定かでない。
これからその事が分かる人が見識者だろう?そんな人は現れるのだろうか?現れなかったら政治も経済も日々の生活もその舵取りは容易では無くなる?ニュースを聞いているとその役目はベンチャ−がになうと言われるが、コマーシャルやコメンテーターの意見を聞いているとうんざりして来る。
物が売れない時代?先が読めない時代?それは他人事では無い事を思い知らないといけない?ベンチャー企業とか時代の先取りとか言われても、所詮「氷山の一角」時代の大きな変化に対応出来る「柔軟性」は殆ど手に出来ないのかも知れない。
この厳しい状況はこの平和?な日本では殆ど共感されない。別に好き好んで深刻な問題を議論する必要は無い。その事を確認する為にも現実を直視しなければいけない?出立は明後日の朝。到着は当日の午後。故郷は本当に近くなりました。往復の切符は手にしたし20日の宿も手配済み。後は幸運を祈るのみです。
公園の芝生の上をヨチヨチ歩きの女の子の後を若い夫婦が見守っている。その女の子と眼が合う。暫くにらめっこをしながら親父から「優しいパパとママで良かったね」と言われても分からない。泣き出しそうになりながら親の陰に隠れる。子供は親を選べない。親は子供に何が出来るのか?その問い掛けにどれだけの親が答えられるのだろう?
これは先日の土曜日の夕方。この後今日夕方出掛けた大阪駅前の景色お見せします。
一眼レフのメモリーをパソコンに差し込んだ侭だったの、久し振りのスマホの画像。画面が暗いのはレンズの所為?違います。あなたの撮り方が悪い。ごめんなさい。
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