二十四節気 「雨水の時」と言われても分からない?
司馬遼太郎記念館から目的の「長瀬川」は遠くは無かった。住宅地の中をきれいな用水路は流れていた。ただ水質は良く無い。それでも地元の人は大切にしていた。悪臭がしないのは水の流れがあり泥が堆積していないからだろう?その事はこの上流の長瀬駅で見せつけられる。
用水路(川)の上に完全にフタをして自転車置き場を創っている。賢い様に見えるけど人間の愚かな知恵。ヘドロが溜まっても清掃が出来ない。となればどうなるか?それ位の事もどうでも良いのだろう?その道を今日歩く?(歩けるかな)そうすればその事が良く分かる?(だからどうなの?)それだけの事です。喧嘩す気か?(まあまあゆったりと行きましょう)
この川の歴史が良く分かる解説。大阪市内(河内平野)にこれだけの川が流れていた歴史を大阪人でも殆ど知らない。水の都大阪の印象は大阪市内の旧淀川(大川)に掛かる多くの橋に限られているが生駒の山裾と大阪上町台地の間は広い湿地帯であった事を親父も知らなかった。
その一帯が干拓されて農作地となったのは平安から鎌倉のの時代だったのだろうか?それでも江戸時代の前半は現在の大和川が多くの川に分かれて北上していた。その川の流れを変えた人の記念碑迄の道を辿る。(今日中は無理かな?)
この汚い流れでも黙々とエサを口にしていた。最近は無農薬の米作りも行われているが、川をきれいにするのは水鳥だけでなく行政、地域住民の積極的な取り組みが求められている。その事が確実に行われなければ掛け声だけでは綺麗にならない。その事は当たり前の事でも関係無いと思っているオバカも少なく無い。そんな世の中になっている?
この上空は大阪伊丹空港の着陸路。西から東から南から伊丹空港着陸を目指して飛行した航空機は和歌山上空から徐々に高度を落として着陸態勢に入る。この写真は望遠で写しているが飛行機機内からもこの辺りはよく見える。
明治の歴史もそうだが大正デモクラシーの時代も殆ど知らない。義務教育で殆ど教えないこの時代の偉業を私達は何も知らない。明治の時代が終り大正の時代は暗いイメージしかないが、この時代にも私財をはたいて女子校を創った大富豪「森兵蔵」。その人の偉業も全く知らない。
これからは女性と時代と言われるは「ゲスの極み」の様な政治家が女性にも多くなるのかと思うと嘆かわしい?そんな事も現在のオチャラケの女性議員には分から無いのだろう?次期総理?何たるオバカだろう?
平蔵さん。罰を与えましょう?お詫びをして頭を下げたらそれで終り?歯舞の北方領土の名前も言えない担当大臣、任命総理が支持される?そんな時は何時迄続くのだろう?何時迄も続く訳が無い。同じ平蔵でも「竹中平蔵」とは財力も社会奉仕もが全く比べ物にならない?
そんな竹中が今でも成長戦略会議の一員?この国はその程度の国だろうか?そんな事は無い。多くの政治的、経済的政策の見直しを見識者に任せていたツケがこれから廻って来る?多くの学者と経済人、政治家、官僚達が尤もらしい作文をしてもブラック企業一つも潰せないお役人達。こんな現実を先人達は期待したのだろうか?これからその対決をしないといけない。(アホ)無理だな。
今日はここから八尾迄歩く。元気があれば柏原迄?流石にそれは無理だろう?どうして?八尾迄4キロ。柏原迄は8キロ。親父の歩行速度では3時間掛かる。只今2時。これから洗濯物を干して糞をして(コラ)出掛けるのが2時半。長瀬到着は3時半。それから歩けば八尾迄は軽いが柏原は無理だろう?この先も以前一部歩いているので楽しい散歩になるに違いない?
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