昨日の続き。でもその前に朝の買い物で考える。流石です。(アホ)
ようやく到着です。JR道場の駅から1.7キロ足らずの道。簡単に考えていたけれど山道の登りは四国遍路道よりもきつかった?四国室戸の先で27番札所「神峰寺」(こうのみねじ)よりは距離も半分、登りも緩やかだったに違いないが、久々に息を切らせながら歩いていた。
途中、岩登りの現場で寄り道をしたがこのコース、手軽な散策のコースとしてもお薦めかも?但しお寺さんの先にゴルフ場があるので車の通行量は多い。歩道は無いので左側通行がお薦め?時間的にゆっくりと大和尚の話は聞けなかったが、時間があっても大和尚の説法は簡単には聞けない?親父的には親しみを持てない。夕暮れの境内で挨拶だけが出来る。しかし言葉を掛けては貰えなかった。それ程に別格?格式は高い。
昭和48年建立。明治6年三田九鬼藩の天誅組なる者の不逞藩士?による焼き討ちで多くの建物を焼失。焼け残った大師堂及び本尊什器は寺廻りに移されてその後廃寺となっていた。時代の流れの中で寺院が焼き討ちにされる。そんな歴史も時代の流れの中で取り戻す事が出来たのは100年後の昭和の後半になってから。
全く知らなかった歴史に感激していました。ただ現在の仏教界も時代の中でどんな影響力を人々にあたえているのだろう?もっと人々の煩悩を解き放つ強い力が求められていないのだろうか?この寺の再建と国家、国民の安寧をお祈りした人の思いはどれだけの物だったのだろうか?(コラ)
紅葉も盛りの時を過ぎていた。この場所はJR道場駅の真上。左を大きく迂回して山を廻り込んでいる。この山の名前は駅前の食堂の親父Oさんに聞かないと分からないが、この山塊は三田盆地が1万年前?に隆起した時に盛り上がっている?聖徳太子が生母の里として大好きだったと言われた頃は、どんな景色をしていたのだろう?
紅葉は盛りを過ぎているが流石にモミジはまだ青い。深紅に染まるのは今月末?その頃にもう一度ゆっくり訪ねて見たい。このお寺さんは1400年の昔に聖徳太子が建立したと言われその200年後弘法大師が巡錫しているが、その時何を残したのかそれを確認?しなければならない。
今、私達が問われている事?その手掛かりを探らなければならない?カラスがその事を教えていた?オバカな生き方をしていると間違いなく何の為に生きたのか分から無いに違いない。この国の仏教と密教に多くの教えを残してくれた賢人は現在の混迷をどんな思いで見ているのだろう?それ位の事は学ばないといけない?
先日はお寺さん到着が4時を過ぎていたので次の機会はもう少し早く行かないといけない?それだけ格式の高いお寺さんです。格式がどんなに高くても聖徳太子、弘法大師の思いはこの国と民の「安寧」(あんねい)だったに違いない。
安寧?この言葉も最近は死語になっている?この言葉の意味は「無事で安らかな事」ただ多くの人が勘違いしている事も間違いない?世の中が天下太平?この言葉程インチキな言葉は無い?そう思わない?これだけのインチキが罷り通ってもかい?
最大のインチキが罷り通っている。公務員の仕事のやり方。民間では当たり前の事が平然と無視されている?能書きばかりこきながらその結果は無視され税金の無駄使いが行われても関係無い?プラン、ズー、チェック、アクション。PDCAの改善のサイクル。そんな事もどうでも良いのだろう?
そんな政府が支持される?そんな経済が支持される?そんな時代が何処迄続くのだろう?その事が問われている?それもどうでも良いのだろう?マスコミもその社会的責任を今の程度に考えていたら鉄槌を喰らわされるに違いない?それも間違いかも知れない?今年の秋も確実に進行している。ただその色に華やかさが感じられないのはどうしてだろう?
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