「偽りの民営化」田中一昭 読み始めている。親父の思った通り。
何度も歩いた満願寺−多田神社のハイキングコースを途中から逆に歩いている。このコースは満願寺から多田神社迄歩いて3キロ足らずの道。しかし初めて歩いた時、その景色は感動だった。今自分が住んで居る街から電車で2駅足らず。そこからバスで10分足らずでこんな素晴らしい景気が見れる。それは新鮮な喜びだった。
でもその道も最近は全く歩いていない。途中の住宅地で仲良しになったNさんとも最近は全く合っていない。人はそれぞれ生き方が違う?考え方が違う?それも最近は良しとしている。どんなに親しい人でも「阿吽」の呼吸は交す事が出来ない。
全てを受け入れる無上の思いやり。そんな思い上がりを死ぬ迄続けるのかも知れない。それでも去る者は追わず。それは子供でも同じかもしれない。孤独?そんな言葉をかけられても九州男児の心意気は変わら無い?(バカヤロウ)そう。馬鹿は死なないと直らない。
この道は多田神社に居を構えた清和源氏の強者(つわもの)達が、馬で満願寺に駆け上がった道?今では歩く人も少ないがゆったりとした気分で歩くにはもってこいの道。今は毎日が日曜日だから心にストレスが溜まる事は無いが、健康管理の散策にはもってこいの道。ただ最近はその役割も名塩通いに奪われている?
ただ折角の散策の小道も長くは続かない。この上はゴルフ場。そこに無粋な看板がある。この道はこの街のハイキングコース?これも嘘?勝手にそんな看板を立てているだけ?ゴルフ場のフェンスに貼られている看板を見ると寂しくなる?
これ位の配慮しか出来ないゴルフ場。最近はゴルフも親父達が現役の頃の勢いは無い。当然だろう?地域に溶け込めない商売に繁栄は無い?それ位の事も分からんのだろう?地域には元気な年寄りがまだまだ多い。
シニアの取り込みが出来無くてゴルフ場の活性化は無い?それ位の事も分からんのだろう?ゴルフは見るとやるとでは大違い。一度、虜(とりこ)になるとこれ程楽しいスポーツは無い。ところが今のゴルフ場にはそんな取り組みも無いのだろう?
親父がゴルフな何よりの楽しみだった頃の思い出は今は無い。再びそんな生活を取り戻す?それは仙人になってゴルフ場の空を駆け巡る時?それだけはやりたくない。年たけても元気に芝生の上を歩く事が出来る。ところが今のゴルフ場はカートで移動?
静岡の名門コース「浜岡カントリー」伊豆川奈の「川奈ゴルフコース」も同じなのだろうか?もう一度ゴルフバックとゴルフクラブ、ゴルフシューズを揃えてゴルフ場を闊歩(かっぽ)する。そんな御大名には慣れない気がする。ゴルフはそんな金持ちのスポーツです。
このグリーンはコースに出る前の練習グリーン。パターの練習。その日のグリーン上のボールの転がり方をチェックする。ただこの練習はパターでボールをきっちり打てる(弾く)練習。コースのグリーンでは余り役に立たない。
ゴルフの思い出は尽きない。ヘタの横好きをそのまま通した気がする。ゴルフは性格がそのまま出る。今は知らないがゴルフの接待も仕事の大事な武器?その接待ゴルフの実態も殆ど知られていない?マスコミは何を尤もらしく語るのだろう?
この国の実態は彼等が語る程、清廉潔白ではない。但し何時迄もそんな時代は続かない?そう言われてどれ位経つのだろう?何も変わらず何も進歩は無いのかも知れない。東京知事を辞任した猪瀬。彼が道路公団民営化で為した役割をマスコミは全く検証していない。
国交省の役人と道路族と言われた政治家の「偽りの民営化」その現実をマスコミは何も検証していない。「便利になれば良いでしょう」「地方の道路網が良くなれば良いでしょう」「国土強靭化」この話になっても「その莫大な工事費は誰が負担するの?」そんな当たり前の話がかき消されている。
国の財政は1000兆円を越す借金。高速道路は全国津々浦々。この国の財政が破綻する事は無い?何故なら外国からの借り入れは無いから?日銀が国債をどんどん引き受けられるから?そんな考えもそろそろ終わりにしないと国の信用を失う?
その時、どんな暮らしが待っているのか?それ位の事はもっと勉強しないといけない。お盆休みも終わり明日から暑い仕事が始まる?そんな事は関係無いと高笑いを続けられる人はどれだけ居るのだろうか?その厳しい答えが求められている。
それでも難しい事は分からない?難しい事を分かり易く解説する。そんなヒーローは出ないのだろうか?今日は大竹が久々の登板。今日巨人が負けると明後日からの阪神線で負け越すと巨人の優勝は無い?これからの半月は政治も経済も一寸先は闇に違いない?
満願寺参道。正面が山門。最近罰当たり?の生き方をしているので本堂にお参りをしない。静岡掛川でおっかあが死んだ後、お参りを欠かさなかった大雲寺の大和尚も大往生をして久しい。失意のどん底で親父の心を慰めて呉れた優しさは忘れていない。
昨日は一眼レフの電池が切れて写真は携帯。その差は歴然?これから携帯の画像も一眼レフと遜色が無くなると言われているがどうだろう?この駐車場を出た処にバス停がある。このバス停もこの奥の山道から出て来た時、近くに居た子供に教えてもらった。あの優しい子供達が輝く未来を期待していた。バスの待ち時間は数分だった。
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