何も変わらない年の暮れ。2度と歩く事は無いと思っていた道を歩く。
中山の観音様。明日になると大賑わいになるが今日は閑散としている。今年初めて出合いの仁王様にお礼を言いながら山門を潜る。中山観音は安産祈願の腹帯の祈祷で有名ですがそれは明治の時代になってから。このお寺の奥の院迄の参詣の道は健脚でないと歩けない?その凸凹道を今でも平然とお参りをしている人が少なく無い。
閻魔大王の存在を否定する罰当たりの輩も少なく無いが、人間の生き方さえも無頓着になればそれも仕方の無い事かもしれない。当たり前の事が偶然の重なりである事も感じない鈍感な人も少なく無い。
この国の始まりの時から多くの人が抱いた素朴な信仰も今はその思いさえも無視されている。別に新興宗教の現世の幸せは信じなくても良いが肉体が滅べば何も残らない?そんな生き方だけはするなと閻魔大王は教えて呉れた。合掌していなかった。
奥の院参道の一番楽な道を歩く?(楽な道はありません)この道は途中から登りが急になる。それを知らないでこの道を歩いた時はニンマリしていた。この先で左に尾根を登る道は短いが楽では無い。多くの人が悲鳴を上げる。現在人がどれだけ歩けないかが良く分かる。
ところが今日歩く道はその尾根を上がらないで直進する。その先に待っていたのは谷川。足洗川。本当に足を洗いたくなる川沿いの道。雨が降って水量が多くなると歩けない。その道を大晦日の日に登る。今年1年の汚れを落としていた。
ここから緩やかに登る。しかしすぐ平坦になる。息が上がる事は無いが何故か呼吸はスムーズではない。少し歩いただけで体調の悪さを感じる。何故だろう?最近、アスファルトの上だけを歩いているから?それも違う気がする。
呼吸は意識しなくても平気だが意識すると平気ではない?血圧を測っていないが間違いなく150を越えている気がする。(オイオイ)それでも平然と山道を歩いている。何故だろう?自分でも分からない。
ただ今年最後の散策の道を淡々と越える事が出来た事は、何物にも代え難い喜びに違いない?(オーバー?)それでは御覧在れ。この道は谷を越える迄は誰でも歩ける快適な散策の道です。その道が谷川を越えると様相が一変する。
ここを降りるのかい?違います。見下ろしているだけ。この下に谷が流れている。何時もは水音もしない少しの水量が大雨が降れば一変する。その為に多くの砂防ダムが在るがこの道を歩く多くの人は知らない。今年も多くの人の思いが踏みにじられたがその事実を知らない人も少なく無い。そんな人達の思いが爆発する時。そんな時は有り得ないと思われているのだろう?バカタレが。(コラ)
この多くの石も多くの人の足跡と思いが刻まれている。右に山道が在るがこの石の上をゆっくり踏みしめていると不思議な元気が伝わって来る。1000年以上前からどれだけ多くの人がどんな思いをしながらこの石を踏みしめて居たのだろう?
この看板から左に上がる道が奥の院への道。しかしその標識は無い。そして直進の道は本当は大変な道である表示は何も無い。この一番下の写真。何と気持の良い感じ。ところがこの道は山頂迄2キロ強だが普通の人では歩けない。2キロと少しの道と侮れない。登りがきつ過ぎる。その表示は何処にも無い。心して歩いて下さい。
この案内板間違っていないが普通の人はここから進んではいけない?奥の院の道はここから左に尾根を登る。その案内が無い。夫婦岩展望所迄0、5キロ。この方向です。何回かここ迄来ている人なら誰でも分かるが、初めての人は分からない?
中山山頂はこの正面では無い。この正面の山の向こうにもう一つ尾根がある。その頂上が中山山頂。そう簡単に到達は出来ない。この谷を登り詰めると住宅地に出る。今日の目的地はそこです。しかしその道も楽ではないがきれいな景色も見る事は出来る。
何度か少ない水の流れのせせらぎを越えるが一度大雨が降ると激流に変わる?足を滑らせるとタダでは済まない。行き交う人も殆ど居ない。今日は叔父さん一人に会う。カメラを見て「何を撮っているのか?聞かれる。
「余計なお世話」と思いながら「景色です」と答える。案の定。首を傾げる。「景色?」「そう景色」禅問答を繰り返すと納得していた。この道を歩く人の思いも様々です。見る人も同じかもしれない。親父の様に人とは違う物を見て感動する人は変人に違いない。それでも間違いなく親父の方がマトモに違いない。(アホか)
段々大きな石が多くなるが樹ががっちりと押さえている。
ただ自然の猛威も侮れない。この上にもう一つ砂防ダムが在るが登りはもう少し。それでもそこがゴールではない。ゴールはそこから尾根を登り天宮塚を越えないと辿り着く事は出来ない。それだけのスタミナはおにぎり弁当を持参としないと無理?
山頂は近い。しかしここからが本当の勝負。足を踏み外すな。今年も紅白は見なかったが今年の生き方の総決算には全然甘過ぎる。新たな年のトレーニングは又始まるが悔いの無い生き方は難しいかもしれない。それでも「不撓不屈」何時迄も初心を忘れてはならない。
ここは上から登って来た道を写している。一見、厳しい登りに見えるがそうでも無い。
前来た時にはこの下の道を歩いたが砂防ダムの中に道が沈んでいた。今回は水も少なくてその心配もなかった。上から見下ろしながら少し思惑が外れていた。でもこの道も確認する事が出来た。水が多くてもこの道を知れば難儀はしない。(確かに)
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