箕面の紅葉は予想通り。予想外だった「観自在寺」の娘との出合い。
箕面の滝道は大勢の紅葉見物の人で賑わっていた。久し振りに見る観光客。滝道は歩くつもりは無かったのでタカをくくっていたら電車の乗り換えホームの人、人、人。電車の中を覗くと乗り込めそうにない。3駅先は終点だからと思うけれど一電車乗り過ごす。ホームで待つと背中を押されないで次の電車に乗り込む事が出来た。来週はもっと多くなるに違いない。
ここは滝道から少し上がった「西江寺」紅葉は今が盛りだった。昨年もこのお寺さんの紅葉は写真に切り取っているが今年も負けてはいなかった。今年は休日が重なりアマチュアのカメラマンも多かったが親父のタイミングも悪くはなかった。
久し振りに「山頭火」の句碑を見る。どんな思いでこんな女々しい句を残したのか?アホは考えていた。山頭火の生き方を凡人が語る事は出来ない。句碑の意味は句会に招かれた山頭火が自分の着ている服装(法衣、ほうい)を嘆いている?彼も自分の生き方に貧しさを感じていたのだろう? (みんな洋服で 私1人法衣で 雪が降る)
これからお気に入りの散歩コースを歩く。紅葉のシーズンで無いと歩く人も少ないが今日はそうでは無かった。この先少し歩くと最初の展望台がある。そこにも先客の中年のカップルがいた。邪魔をしないで廻りの景色を見渡して展望台の階段を降りる。
ここはまだ展望台ではない。それでも見事に紅葉している。
この看板。全く役に立たない。親父はこの道を何度も歩いているので行き先がやっと分かる様になったが、初めての人がこの案内図を見ても分からない。その事を身を持って体験しているので役に立ちたいと考えていた。親父達に出来る事はその程度に過ぎない。
展望台から少し歩くと車道に出る。その先にこの道がある。この道は車道を歩かなくても良いが1人出来た時には最初、歩けなかった。理由?何処に出るのか分からない?どれ位掛かるのかも分からない。近くの祠(ほこら)に足を踏み入れて戻って来ると若い女性がチラシを見ながら思案していた。親父が最初に感じた同じ反応。
少し歩くと民有地のホテルの敷地内を歩く。ここの紅葉もまだ残っていた。この敷地内を抜けると親父の目的地「地獄谷」の紅葉を案内する。箕面滝道の紅葉もまだ全山紅葉とは行かなかったが、滝も又同じだった。しかも通行止めの看板あり。それでも親父は勝手を知っているので構わず娘の先を歩く。普通の人は歩けない。この谷の紅葉が見事な色彩を放つのは12月になってからだろう?その時は1人で歩くに違いない。
谷を下る道は整備されているが小石が浮いているので娘は足を滑らせる。でも山登りはしているので歩く事には慣れている。親父の様な口を利きながら一方的にガイドをしていた。でも優しい娘だった。親父達は長く生きる事は無い。
今度の選挙で問われている事。それは現状維持ではない。現状を大きく変える。それは若者達が豊かになる事。それは選挙の度に問われるがそれを成し遂げる方法は唯一つ。若者が投票所に足を運ぶ。
たったそれだけの事で政治と経済と生活が変わる事をマスコミは何で報道しないのだろう?それは彼等も又、現状維持で飯が食えるから。世の中を変える。その事は今度の選挙で変わらなくても必然の成り行きです。その説明は又、改めてご期待下さい。(何も期待していない)それはそれで良いのでしょう?
もうすぐ滝道です。その道を娘は今日、歩いていました。それでも元気でした。拙いガイドに礼を言われましたが当たり前の事でした。親父達に出来る事はその程度の事でしょう。帰りの電車も満員でしたがその時初めて四国、愛媛、観自在寺の話しを聞く事が出来ました。ありがとうございました。
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