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2014年11月20日 (木)

能勢街道。豊中北部を歩く。秋は確実に進んでいた。

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昨日バスに乗った停留所は意外に近かった。バス乗り場も案内板ですぐ分かる。「3番乗り場」親父がこの街に住んでいた頃には無かったバスターミナル。阪急の駅舎が高架になった時に整備されている。駅前は何も変わっていないが鉄路が高架になると風景がすっかり変わる。

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バス停の後ろは池。この溜め池は何時造られたのかは分からなかった。農業用溜め池も今はその役目を終えている?池の廻りは住宅地。対岸も昔は窯跡?現在は個人のお宅だった。以前は名家だったのだろう?敷地内の立派な松は料亭の感じがしていた。

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池を巡りながら静かな時を感じていた。この先を歩かなければならないのでゆっくりは出来ないが、平日の午後池の廻りを散策する人も全くいなかった。秋は確実に進んでいるが季節を感じながら歩ける高齢者が少なくなっている。

歩けなくなると車いすでも季節を感じる事は無理なのだろう?この先、能勢街道は無くなっている?その理由も良く分かる。この辺りは全く知らなかったが丘陵地。歩くだけなら兎も角、荷車、牛、馬で台車を引く様になると坂の上り下りは出来るだけ少ない道を探す。当然の成り行きです。

それだけこの道は大阪と北摂地域を結ぶ生活道路だったのだろう?多田銀山から産出した多くの銀。能勢の山から産出された木炭、生活物資。反対に大阪からの生活物資。現在では考えられない賑わいだったに違いない。

その道が西にある。その道は来週。歩きます。自分の股関節を鍛えながら素晴らしい景色を愛でる。何と言う幸せだろう?(信じられない?)歩きながら景色を眺めながら先人の想いを推し計っていた。学んだ事?それはこれからお見せします。

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高級住宅地。全く知らなかった豊かな世界。今度の選挙で多くの事がもっとらしく語られるが間違いの無い事はこれが現実です。政治家達は多くの事を約束してもそんな物で世の中を変える事は出来ない。それが分かっているから多くの国民は信頼をしていない?それもウソです。

選挙の投票もしないで世の中に変化が期待出来る訳が無い。必然的に豊かな生活が出来る訳が無い。それで良しとして来たのだろう?豊かな生活を望むなら政治家を替えなければいけない。民主党から自公民の政権になって豊かになった人はアベノミクス賛成。生活が苦しくなった人はアベノミクス反対。単純明快です。

今、問われている事はそれだけ。墓の事は心配しなくても生きて行ける。多くの墓も見て来ました。いずれくたばる。その時心安らかに永遠の眠りに付ける人は幸せに違いない。国の為に亡くなった人の御霊に感謝する?そんな生き方をしなはれ。そう言われていた。

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高級住宅地の先に坂がありその途中に公園がある。その公園の入り口で先人の想いを知る。公園の賑わいは無かったが秋は確実に訪れていた。人の生き方は果敢ないが死んでも尚、こうして語り掛けている人がいる。一期一会。一回限りの出合いでも強烈な生き方を教えてくれている。

政治家に経済人にそんな事を求めるのは無理なのだろう?政府のリーダー達に、この国の官僚達に、学者先生達に、医師達に、経済連、労働組合のリーダー達にそれ位の事が出来無い訳が無い。何故出来ないのか?

選挙の前になると美味しい事で票を集める。何たる情けない様だろう?その美味しいエサに群がる支持者達。政治には興味が無いと言ってもお金には興味があるだろう?自分達の生き方が問われている?そう言われても何も変わらない?見ていなはれ。世の中は劇的に変化している?(マサカ)です。秋は劇的な表情をしていた。

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ここ迄歩いて来ると流石に汗ばんで来る。レンガが積み上げられた花壇の上は今、冬枯れの時。肩に掛けているカバンとカメラを置いて袖の無い風防のジャンバーを拭ぐ。も少し歩かないとこの街を抜ける事は出来ない。

ここ迄来る能勢街道の面影を探る事は出来ない。跡形もなく消えてしまったのだろうか?それは新しく出来た(秀吉の時代?)道もこの当たりでは途絶えている?(その事は来週分かる)この先写真でお見せするが中国自動車道と一般道路がモノレールと重なって風景が一変している。

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この近くは最近は車で走る事も無くなったがこれだけの段差がある。車道はなだらかなスロープになっているから当然と言えば当然かもしれない。この上で車の流れと遠くの景色を見ながらおにぎりを口にする。何故か淋しい思いをしていた。(むげねえのう)覆水盆に返らず。

これからくたばる迄の生き方を問い続けなければいけない。アベノミクスが支持されると円は更に下がる?そんな覚悟はあるのだろうか?オバカは「そんな事関係ねー」ととぼけている。バカヤロウだろう。覚悟しなはれ。生活は楽にはならない。

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この先軽自動車しか通れないクランク(狭い直角の曲がりが重なる)を抜けると千里川に突き当たる。意外に川幅が広い。この川が猪名川に合流する所を見ているが、今はその面影は無いがこの川の氾濫は地域の人にとって脅威だったに違いない。それを感じさせる高い堤防が築かれていた。

その堤防の上の狭い道をワンボックスカーの兄ちゃんが平然と通り抜ける。アホそのもの。危険予知の感覚が全く無い。その車が通りに出た所、橋の上で止まる。親父に何か言うのかと思いきやそうでは無かった。待ち合わせの車が待っていた。因縁をつけられても負ける気はしない。(コラ)そうでなければデカイ顔をして知らない道は歩けない。(止めなさい)

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この先は又明日。刀根山の坂を越える。錦秋の秋と多くの先人の声がこだましていた。

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