まだまだ早いと思っていたけれど、もう遅すぎるのかも知れない?
久し振りに訪ねた満願寺。このお寺さんは兵庫県川西市にある仏教寺院。宗派は高野山真言宗。親父のお寺さんは禅宗妙心寺派。今年の9月。墓参りした時に大和尚に確認したが宗派は違っても仏心は大切と言われた言葉を思い出す。これ迄一番欠けていた生き方。それとは全く違う生き方があった事を思い知らされている。
「どうだ」自慢の1枚。拡大してみるとどうかな?今イチ?まだまだとっておきの景色をゲットしています。仲々アップに耐えられる何とかは難しい?話は替わるけど(変えるな)テレビの健康食品のCM.小さい文字で効能を保障するものでは無いと表示されるが、それでも宣伝する効果あんのだろうか?それを何時も感じている。(アホ)
「後悔先に立たず」この言葉の意味は済んだ事を嘆き、悲しんでも仕方が無い?「覆水盆に帰らず」しかし最近考えが少し変化している。どんなに間違いは無いと思って大見得を切っても間違いが正当化される事は無い。
昨日その評価について見解が分かれたが、経済政策と金融政策は全く違う事をこれから思い知らされるに違いない。金融資産の運用はこんなインチキで正当化される訳が無い。何度も思い知らされた誤りを日銀にさせたらあかんやろ。安倍さん。
この政権も赤いシグナルが点滅をしている。今月末その見立てが明らかになる。間違っていたら社会批判を絶たなければイカン?その替わり当っていたらどないしてくれはります?(どうもしない?)そうでしょう。その程度の事です。
ゴルフがやれなくなって10年が過ぎる。車を手放して同じ時が流れている。この国の経済成長が失速して20年。これからはこれが日常になる。その前提でこれからの生き方が問われる。多くの評論家と解説者(どう違うの?)が教えて呉れる事。
それが全く役に立たない時代に生きているのは喜ぶべきか?悲しむべきか?その事も問題にされていないのは何故だろう?これからはそんな事も無視されるのだろう。今、蓄積されている多くの体験は生かさなければいけない。その事が問われている。
短い森を抜けると住宅地。この住宅地も信じられない事に老の時を迎えている。この住宅地が開発されて多くの時が流れている。これは何もこの住宅地だけの話ではない。この国がこれから迎える高齢化の社会。歩ける年寄りが少なくなれば自分達はどうすれば良いのか?その事を誰が今、指し示しているのだろうか?その叫びを聞かなければならない?(無理だな)厳しい現実が差し迫っている。
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