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2014年11月26日 (水)

錦秋の秋。初めて歩く道。想定外の厳しさ。膝が笑っていた。

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満願寺から多田神社迄の気持の良いハイキングコース。途中に「お友達」のお宅がある。この道を知ったのも満願寺の納経所で教えてもらってから。ところが昨日歩いた道は初めてだった。もっと簡単に歩けると思っていたらトンデモナイ。黙々と歩いているとゲリピー(コラ)先島諸島の「波照間」の砂浜で腰を降ろした事を思い出す。

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道はきっちり続いている。昔から多くの人が歩いているに違いない。しかし整備はされていない。山歩きが好きな人が勝手に歩いているだけ。そんな感じがしていた。その気持が最後の最後で証明される。この300m足らずの道は近くの五月山ハイキングコースとは全く違っていた。

行政の関わりが全く無い。この自然環境を愛する人達が勝手に歩いている道。近くに大学、高校、中学がある。それだけでも無かった。広大なお寺さんが会った。ただその新興宗教も今はひっそりと活動を続けているだけだった。その歴史も全く知らなかった。マスコミも多くの事を語るがその程度の事も知らせていない。

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標識が全く無いので何処に出るのか不安になる。ただ間違いなく山の尾根を歩いている。その方向は分かっているし道がしっかりしているので黙々と歩いていた。1人で歩くには勇気が居る。暗くなると淋しい道に違いない。昔の旅人が明るい内に宿を取っていた気持が山道を歩いていると良く分かる。

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この道の下には住宅地が迫っている。それでもそんな感じは全く無い。処どころに抜け道があるが小さな表示があるだけ。初めての人はそんな道は歩けない。親父の様に太々しい歩き方をしていても不気味さを感じる。現在人が感じない自然に対する「畏敬の念」理屈でない「信仰心」。一人で歩く時に何度も後ろに感じる気配。その度に振り返っていた。

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少し視界が開ける。この先この尾根も長くは続かない事を現わしていた。しかし、その先は下りが半端ではなかった。中山の従走路の崖の様な厳しさは無いが「溝」だった。雨が降ると一気に流れ下るのだろう?昨日は上から降りてきたが下から登ると面白いに違いない。今日、もう一度歩いて見ますか?お寺さんの歴史も聞きたいし。(アホ)

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目的地到着です。個人が作った標識だけが残されていた。この山の扱われ方が良く分かる。阪急宝塚線の車窓から見えていた山は高くはなかったが、実際に歩いて見るとそこは快適な散策の道だった。ただ1人で歩くには気味が悪い。

多くの怨霊が息を潜めていた。この案内板の左下に「鐘釣山」の表示があるがそこは「魂の丘」でもあった。物見遊山でこの山を歩かない方が良い。心に多くの事を刻み付けていた。この山で人生を変えた人がいる。その人の話を聞かないといけない。でもその人も今は居ない。

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ここから釣鐘山に向かって一気に下る。それはこの山の厳しさを思い知らせて呉れる。嘘だと思うでしょう?それはあなたもそんな生き方をしているかも?(失礼)そう感じさせてくれる下りでした。これはハイキングコースではない。山登り(下山)

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こうして見ると良く降りてこれたと思うが、本当はこの道を登らないとこの道の実態は良く分からない。この道を多くの人が何気なく歩いているがこの山は多くの魂が眠っている。その事が分かったのはもう少し降りてからだった。

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このお寺さんの存在は何も知らなかった。四国八十八ヶ所の石仏が並んでいた。夕暮れが迫りその訳も分からず本堂も無かった。誰が何の為にこれだけの山を切り開いたのかそれも断片的にネットで調べて見ると良く分かる。今日もう一度社務所に伺い自分の眼で確かめなければならない。



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