今日は良い天気。何処に出掛けるかな?でもその前に。
部屋を片付けよう。(君から言われた手の届く範囲に物が置かれている?)
そうでは無い。乱雑に(手当り次第に物が置かれているだけ)
毎日、同じ行動をしているとこんなダラシのない生活になるのだろうか?
そうでは無い。それが当たり前になる。それで何とも思わない?それも違う。
汚い事に鈍感になっている?(そんな人もいるがそれも違う)それではどうして?原因は?片付けが出来ないから?それでは片付けを始めましょう。
片付けの条件は要らない物を捨てる。(捨てる物は無い?)そんな事はありません。自分の眼の前の整理ダンス。要らない物が数年も前からその侭保管?されている。そんな物から処分しょう。
先ず、100円ショップに行って塵(ちり)取りとゴミ袋を買ってこよう。これは7年前に派遣の会社でゴミだらけの部屋を片付けていたのでお手の物?自分の部屋が片付けられなくても、それが仕事になれば片付けられる?そんな事はありません。
片付け終了。(ちっとも片付いていない?)それでも足元のマットレルが暖かい。(どうして?)埃を叩いてお日ー様に当てたから。(成る程)眼の前も少しはすっきりとしました。お片付けのポイントは先ず捨てる。大体残している殆どが不要物。(親父の場合は殆どが本?)それを入れる処を確保すればいくらでもすっきりする。
まだ不要物は一杯あるが今日はこの程度にしときます。あんまりムキになっていると息切れ、動悸がして来る。(血圧の薬飲みなはれ)。おにぎり弁当は確保したし、今日は先日市役所で頂いた能勢街道のマップガイドを見ながら歩いて来ます。
この道は大阪市内から三国、服部、岡町を通り刀根山、待兼山を越え池田から能勢に続く古くからの道です。親父がこの道に興味を持ったのは先人の生き方、生活に興味を持ったからです。今では車社会に対応した産業道路と私鉄が整備されているが、実際に歩いて見ると多くの事が分かって来る。
東海道53次でも同じ。期待した道の一部分しか歩いていない。親父の最終の歩き方は暫く先になるのかも知れない。四国八十八個所の遍路旅もまだ道の半ば。先日テレビで見た「智頭急行」親父の飽くなき好奇心は絶える事が無い。
三国の橋を渡って能勢街道を歩く。前に歩いた時にはこの看板に気付かず。内容を読んでいると昔の能勢街道はこれより東1キロと書いている。そうか。この道は近代の能勢街道?引き返して堤防沿いに東に歩く。しかしそこには「小曽根の渡し」跡は見当たらなかった。
小曽根の渡しは見当たらず。もう少し上流かもしれないが堤防から左の道を探す。公園で親子が遊んでいた。小さな公園だが幼児の遊び場としては文句無し。広い道を渡らないといけないが横断歩道は無い。立派な陸橋。
しかしお年寄りと車いす用のスロープは無い。「どうするのだろう?」余計な心配をしていた。美化推進も大事だけれど歩行者に優しい街作りもお願いします。これからはこんな立派な陸橋は無用の長物になる?お役人にはそんな事は分からん。
空き地で菜園。何たる贅沢。歩き始めて間も無いのにウロウロしていた。この先左にあるくと先週歩いた天竺川沿いの道を歩ける。今日初めて眼にした看板に因るとその道は明治になってからの道。道に歴史あり。人に想いあり?女の子が一輪車を上手に乗りこなしていた。
道が狭くなる。ここで更に左に曲がるのかと思いきや、それでは余りに道が狭い。市役所に貰ったマップで確認するが良く分からない。「もう少し先」いくら昔からの道とは言え狭い路地では流石に通れない。マップで見るともう少し先。その先は親父が感動した松林が右にあった。その下の道を歩く。
いくら何でもこれでは狭過ぎる。しかし風格のあるお寺さんでした。この道も昔のまんま。この先を歩いても良かったけれど引き返して堤防に上がる。
この川底はこの堤防の下。5〜6m。これだけの立派な高さの堤防は洪水対策。大雨が降ると濁流が流れ下るに違いない。天竺川。この川も知らなかった。先週歩いた時この川沿いに歩くが源流も遠くない。しかし昔は北摂の山裾から流れ出していたに違いない。近くに千里川が流れている。
ここで能勢街道は堤防から離れる。右の堤防を歩くと絶景の松林が左に続く。先週歩いた時もこの場所の記憶はある。あの時も能勢街道を遡っていたが、正真正銘の旧街道はこの左を進む。その訳はここではまだ分からなかった。
能勢街道はこの先この産業道路と平行して北上する。この先に本日の目的地がある。そこがここだ。足の痛みは歩いている時には無いが歩かないとよろける。賽銭の金額が足りない?そんな神様では無い? 失礼しました。明日は続きを歩きます。
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