能勢街道。服部天神駅から昨日の続きを歩く。昔の面影は何処にも無かった。
こちらが表門と思っていたが正確には裏門。表門は反対側。能勢街道に面していた?しかし、今はその面影は無い。写真に切り取っていると、その間待って暮れていた叔父さんが何故か、ふて腐れてお礼を無視する。
親父の写真の撮り方が気に入らなかったのだろう?待たせたのはホンの一瞬だったがその事が不快だったのだろう?この先では小学校の警備をしていた叔父さんから「子供は写さないで」と注意をされる。この時はぶち切れる。
「それ位の事は最低限度のルール」親父にも「ゆとり」がない。今日は街道の面影も殆ど分からなくなっていた。行政の案内板が全く無い。市役所から貰った資料のマップも全く確認出来ない。そんな時代になったのだろうか?歩きながら情けない思いをしていた。(全く気にしていなかったけれど)古きを訪ねて新しきを知る。?
昨日の写真。菅原道真公でした。親父はマダマダ足が達者だけれどそれもいずれはお世話になる?(成らない気がする?)なんでや?この3年間。仕事が出来無くなった分良く歩きました。
伊能忠敬や今でも四国遍路道を何周もしている人に比べると問題にならないが、1日5キロで一月150キロ。年間1800キロ。3年間で5400キロ。(ホンマかいな)本当です。日本一周?何の自慢にもなりません。
本当に地域を区切って歩かないと何も分かりません。東京中心のマスコミのニュース。それでも東京の一部分も伝えられないマスコミの情報。そんな情報は何の役にも立ちません。断片的な心地の良い情報に左右されないで行きて行く方法。手にしなければいけない。
心配していた能勢街道の面影。この先迄ははっきりしていた。この先に用水路が整備されている。この地域の排水路も整備され最近は洪水の心配も無いが、昔はそうでは無かったのだろう?今は幹線道路が整備されているが右の天竺川の氾濫はそんなに昔の話ではない?
今日歩いて最初で最後だった「能勢街道」の看板。何度も見直したが結局道が分からなくなる。もう一度歩けば間違わない?それでもアホらしくて歩かない。街道の面影も殆ど残っていないし案内標識が無い。
この看板の反対側の小学校を写して注意される。学校の安全?多くの人が多くの考えを持たれているのは結構だが人を見て法を説け?小学校を写真に撮っていて注意されたのは初めて。この後、道も分からなくなる。この地図をもう一度アップして見直すと良く分かるがその標識がなく分岐を間違う。もう一度歩きましょう。(イヤだ)
おじさんから注意されて頭がカッカしていたので分からなかったが、偶然「中央幹線景観水路」の始まりを見る。これが完成した時が書かれている。平成2年に着手して15年に完成。長い歳月を掛けて完成したこの排水路の成果は少なく無い。
唯、残念ながら水質が最悪。この問題をどう解決しょうとしているのか?それは気になっている。行政と地域住民はどう考えているのだろうか?それは聞いてみないと分からない。旧猪名川を歩いた時に感じた「寸賀尻桶門」読めない。
スガシリヒモン。スガシリは地名。ヒモンは水門と同じ形をしているが少し違う。説明は分かった様で分からない。これで来週豊中下水道局に行くのは決まり?
ここから街道の面影が分かり難くなる。ここで幹線道路から右に入るのは正解だった次の道が分からない。この石碑は天竺川沿いの堤防を歩いた時に引き返して見ている。藤井寺と書いてどうせいじ?ここももう一度歩かないといけない。
ここからが再び能勢街道。標識が全く無いので大廻りをしているが近くのお寺さんは西江寺と藤井寺。両方とも大きなお寺さん。今回は寄り道していないので何も分からないが、次の機会は寄り道をしなければならない。今日はこの正面の道を歩く。
ここ迄は道があっている。しかし能勢街道とは昔の道標には無い。「池田道」。当時はここから先はそう呼ばれていたのだろう。能勢街道の前に確かに池田がある。現在の標識は何も無い。この先、その事を思い知らされる。左を現在の幹線道路176が通っているがその道を横切らずに直進する。思いがけない所に出る。
ここで道を間違えている?ここは道が分からなくなってウロウロしていた。唯、道なりに歩いていたので大きくは間違っていない。もう一度歩きますか?微妙。この近くは住宅地の開発が進み能勢街道(池田道)が消えている?
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