マスコミの伝えない秋。生き方。考え方。
昨日暗くて良く分からなかったお寺さん。今日、もう一度訪ねる。全く知らなかった新興宗教。宗教の在り方が問われて久しいが最近は自分の生き方を問える人が少ない。「そんな物は関係無い」と平然と言い放つ人も少なく無いが。自分の生き方が問われる前に考えて置いた方が良い。
理由は簡単。誰もが永遠に繁栄する保障はない。その時は間違いなくやって来る。その時哀れみを乞うても誰も手を差し伸べる事はない。哀れな生き方が問われている。今、平然とそんな生き方が出来る?そんな世の中。そんな社会も長くは続かない。そんな事を考えていた。(アホ?)それでは絶景をお見せしましょう。段々伝道師になっている?(マサカ)マサカです。
これから紅葉の名勝がテレビの画面で尤もらしく放映される。確かに名も知らぬ場所の紅葉は感動が大きくない。それでも今求められている感動はこの程度で充分です。その事が分かると生き方が変わる。?この歳になってその事に気が付いても遅い。それでも惨めな生き方を避ける為にはもっとその事を痛感しなければならない。
本日目的のお寺さんはこの上。もう少し歩かないといけない。昨日この上の道で子供達に道を聞いた事を思い出す。今日降りた駅「雲雀ヶ丘花屋敷」駅とその手前の駅「川西能勢口」の丁度中間の山手。阪急宝塚線の電車の中から見上げていた。絶景です。
昨日山から下りて来た時、このお寺さんの境内に出る。広大な敷地の中に四国八十八ヶ所の石像があった。素晴らしい光景だった。その印象が強烈だったのこのお寺さんを再び訪ねて説明を受ける。宗教法人「慈光会。代表のご主人が突然の訪問に親切に説明してくれる。多忙な時に時間を割いて説明して頂いてありがとうございます。全く知らない世界がありました。この先、先日降りて来た境内を登る。
釣鐘山山頂。綺麗に整地されているがベンチは無い。手にして来たおにぎり弁当を握り締め思案する。昨日降りて来た道は厳しいので立ったまま腹ごしらえをする。昨日ビンビン感じていた監視の眼は感じられない。
親父のお礼参りに気を許してくれたのだろうか?景色を眺めていると雲行きが怪しい。雨が降りそう。それでもカッパを手にしているので案ずる事は無い。昨日降りた厳しい谷を今日はゆっくりと登る。窪地に足を取られてよろける。しかし足首は何ともない。
ようやく登り詰める。下りより楽だった。昨日一度歩いていたからかもしれない。昨日は追い立てられる様に降りていたが、今日は何度も息を整えながらゆっくりと登る。人生も同じに違いない。一歩、一歩、慎重に足元を見つめながら額に汗しながら歩かなければいけない。
師走の選挙は投票率が上がらない?現政権の圧勝?そうだとしてもこの政権は長くない?その理由?景気の良さを実感出来るのは庶民ではない?しかしその庶民の消費に期待する。そんなオバカな経済が成り立つ訳が無い。
金融緩和で庶民の懐が温まる?景気回復実感出来る?そんなオバカな論理が何で斬罪されないのだろう?それは余りにも実態を知らないから?親父もそうでした。でも何時迄もそんな経済理論が通じる訳が無い。
通じなければ更なる金融緩和?それは無理でしょう?海外投資家から円は買い叩かれる。それでも株価が上がれば良い?何たる経済運営だろう?小雨が降って来る。先を急ぐ。出口直前迄誰にも会わなかったが出口で優しい親子連れ2組に会う。「暗くなるよ」と声を掛けると「ハーイ」を爽やかに返事をしていた。
山から出ると先日歩かなかったハイキングコースを多田に向けて歩く。4時を過ぎていたが隣のゴルフコースメンバーがゴルフバックを担いで歩いていた。この時間から9ホールは無理だろう?余計な心配をしていた。親父がコースを回れる日は来るのだろうか?
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