秋の始まり。紅葉前線が今年も顔を見せていた。その反面、問われている物を誤摩化されている?
五月山ハイキングコース。左は幼稚園生でも歩けるなだらかな快適なコース。右は名前の通り谷を駆け上がるコース。以前は少し足を滑らせる無事ではなかったが、今はコースが整備されている。それでも足元には注意しなければ危ない。今日のコースはどっち?当然右?そのコースからも外れて低い尾根を一気にあがる。ただこの道も大した事は無い?(距離が短い)メタボな親父にはハードなコースでは無い?
ハイキングコースから外れてこの階段を降りて谷を渡る。この谷もすぐ下流に砂防ダムが造られて平坦になっている。何時もは流れている少ない水も枯れていた。暫くまとまった雨が降っていないからだろう?この谷の土手にも階段が造られていた。
ボランテイアの人達が月に一度活動している。本当に大切な事は一部の活動では無く市民の多くがこの素晴らしい自然の恩恵に感謝して活動しなければならないが、残念ながらそうはいかない。その理由は単純明快。旗を振る人のマトメ方が弱い?(コラ)
行政もその取り組みの大切さは認識してもボランテイアに丸投げ。積極的な関わりが無くてもそれで仕事が出来る。今、日本各地で問われている多くの問題に共通する問題。地域の人達の活動が無いと言われるが、自分達の政策が間違っているとは考えられていない。親父達がその事を認識出来ていない。
今迄多くの事を批判して来てやっと分かった事。それは出来無い事の批判、ボヤキ。そんな物は何の役にも立たない。それが分かると独り占めが出来る。ぼんやりと椅子に座りおにぎりを食う。至福の時が何時迄も続いていた。
これを日々の生活にする。そんな生き方が求められている。早く仙人の免状を手にしないといけない?(無理だな)健康で生きる。知力で生きる。在りの侭に生きる。そんな時を考えていた。困難を容易にする。そんな知恵を指し示す政治家も経済家も宗教家も医者も学者も居ない。その程度の事で嘆き悲しむ事は何も無い。
これから一気に尾根を登る。道は整備されているので汗をかく事も無い。今年の夏、熱さに耐えかねてこの道を喘ぎながら登った事を思い出していた。この傾斜地の下草の刈り取りもボランテイアで行なわれている。
今、日本各地の山林が土砂災害の危機に瀕(ひん)している。その原因も多くの人は知らない。マスコミも災害が起きた時しか報道しない。都会人の命の源流が何処に在るのかも知らない。それが経済成長の成れの果て?
親父達が汗水を垂らして手にした物はこんな無様な姿ではない。その逆襲をこれから自分自身にしなければならない。ただ真面目に生きるだけではコケにされるだけ。その事を痛感している。この国の旗ふり達にその事が思い知らされる時は近い?
(何をとぼけた事を言っているのだろう?)株価は7年ぶりの水準?下がり過ぎていた時の政権は民主党だったの?何をとぼけた事を言っているのだろう?この国の在り方を決めて来たのは自民党政権だっただろう?
その自民党政権が国民を幸せに出来る?何たる間抜けだろう?今一番問われている事は既成政党に対する期待では無い。その事が実現しないと何時迄も「貧乏人は麦飯を食うしか無い」それも違う?収入に見合った生活をするしかないのだろう。(確かに)
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