篠山市。行って来ました。多くの人が親父の疑問に答えてくれました。
阪急宝塚からJR宝塚。懐かしい駅。最近は競馬場にも行かないし仕事で利用する事も無い。JRの駅の久し振り。鳥取に行った時が4、5年前だった。あの時緑の窓口(古い)で言われた言葉を思い出していた。
「乗車券は自販機で買って下さい」その直後に親父からどやされていた。「バカタレ。鳥取の先、窪川迄の切符。どないして買うんや?」ごもっとも。何気なく言った言葉の弁解をしていた。
今日はその窓口を覗く事は無い。ICOCAのカードをチャージして改札口にかざすだけ。ただ往復2000円では足りなかった。理由は篠山市役所が駅から遠くバス料金が掛かる。特急「コウノトリ」には乗らず(特急券が要る)快速で向かう。所要時間40分? 市役所前の停留所は二階町。駅前で運転手から丁寧な説明を受ける。
バスの停留所から市役所は少し離れていた。しかし看板があるので迷う事はなかった。その途中に何故か「大正ロマン館」がある。「昭和は無いのか?」突っ込みを入れながら帰りにバス停の前を見るとありました。
大きな建物が在り立派な市役所と思いながら左に廻り込んで見るとそうでは無かった。「たんば田園公共ホール」市民会館では無い?「文化事業の創造」言葉は立派だがそれに負けない建物。しかしこの地でどれだけの文化が創造出来るのだろう?(コラ)
市民の文化的創造意識は自己満足に終わっていないか?その見識は誰がどこで評価しているのだろう?今、政府の方針として尤もらしく語られる地方創生。その現実は本当に厳しかった。どんなに立派なハコ物を作ってもこの町も又、山間僻地の交通手段はマイカーだった。
お年寄りが何時迄も元気に生きていられる社会。そこには公共の交通手段は殆ど途絶えていた。親父が目的にしていたこの町の東南から猪名川を経由し川西に抜けるバスは1日数本しか無い。そんな山間僻地が日本全国で増えている。
そして行政は為す術が無い。そんな地方を本当に創生が出来ると思っているのだろうか?こんな政府が支持される?もう少し地方の現実を知りなはれ。そうで無いとこの国は地方も都市も人が住処を失うに違いない。親父も真剣に終の住処を見つけなければならない。(無理だな)最後は墓に入れてもらうしかない?(まだまだくたばらないよ)
「丹波篠山、山家の猿が、花のお江戸で芝居する。デカンショ、デカンショで半年暮らす、後の半年寝て暮らす。ヨーイ、ヨーイ、デッカンショ」そうはイカナイ。この歌の源流はこの地方の貧しい民謡?半年出稼ぎをして半年は地元で暮らす。そんな意味のある事も今は語られる事は無い。ここで暮らせば餓死する事はないに違いない。
商工観光課のS氏から親父の問い掛けに丁寧な説明を受ける。ただその説明を聞きながら親父の目的地迄の到着は難しい事を痛感する。マイカーで走れば1時間足らずの快適な道もメタボな親父ではヒョコヒョコと歩く事も出来ない。昔の出稼ぎの人が歩いた道も先日到着した「杉生」から10キロ近く歩かなければならない。それ位の距離なら問題ない?(と思うでしょう?)峠越えのトンネルの道はそんなに甘くない。
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