猪名川を遡る。歩いた距離は短かったけれど。
「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。流れに浮かぶ泡沫はかつ消えかつ結びて久しく留まりたるためしなし。世の中にある人と住処と又かくの如し」鴨 長明「方丈記」。
ここ迄来ると水の流れは透明だけれど川の流れに勢いが無い。
川岸の整備がされていないので洪水時の氾濫対策?として近くに大きな貯水池がある。しかし、自然の猛威を舐めていないか?そんな問い掛けは近くの住民に無いのだろう?左の低い堤防の上は耕作地になっていた。
暫く歩くと素晴らしい景色を見る事が出来る。ラインだけ引かれた橋の上で写真を撮っているとその後ろを大型ダンプがびゅんびゅん通り過ぎる。左は料亭の建物が在り大きくカーブをしているので車の見通しが良くないので怖い。即、左の安全な場所に移動する。
この左の大きな建物を廻り込むとその先には大きな広場がある。しかし公園として整備されていない。広場の左に大きな作業場があるので私有地?折角の絶景が勿体無い。この先の橋は工事中だったがその先に江戸時代の俳人の句があった。
その当時はここ迄歩いて来るのも難儀だったに違いないが、それだけの価値が有ったに違いない。現在は見向きもされないこの景色を息を吞んでみた先人の想いを推し計っていた。その看板をお見せする前に移動しながらこの景色を写し取る。
浪華(なにわ)随一の俳人大江丸?(忘れ去られている)が寛政九年四月にこの地に遊び読んだと言われる句。寛政九年は伊能忠敬52歳。間宮林蔵22歳。江戸幕府11代。1797年と言えば幕藩体制完成して200年足らず。この体勢が崩壊する迄まだ100年前。
政治も経済は人々の生活も変革を求められていた。ただ幕府の締め付けは厳しく人々の生活は哀れであった?作者は100年ののちにこの地を天上界から見る事が出来たのだろうか?その100年後。現在は当時の面影は何処にも無い?100年後の人はこの景色を見る事が出来るのだろうか?
この先のカーブを曲がると昨日バスを乗り損ねた停留所。今日はそのバス停でバスを待つ。近くに喫茶店があるがそこのベランダで携帯で遊んでいた兄ちゃんが、親父の後から乗り込んで来る。それでも携帯のゲームの画面から目を離さない。
背中を押される。故意ではないがうっとおしい。それ程の輩でもない。(コラ)来週はこの先を歩く。この先はこの町の北部。完全な田舎の風景。お間抜けなテレビも行政も殆ど伝えない風景。素晴らしい秋が待っている?来週どれだけ歩けるかな。
バスが走っているが1時間に1本。但し帰りは14時台は無い。ここからバス停16先の杉生迄歩けるかな?遠い様だけれどバスの時間で15分足らず。近いと思うでしょう?処が距離は10キロ前後。楽ではおまへんえ。3時間掛かる?歩けるか?(やめときます)(アホ)
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