般若心経を唱える為には暗記しないといけない。暗記すれば教えが理解出来る?
満願寺山門の仁王は多田院から移設されたと言われている。明治の「廃仏毀釈」で寺院の特権、仏教の奢りが新政府に因って否定?され多田院は仏教寺院から多田神社に名前を変えさせられる。そのとき山門に合った仁王像がここに移設されたと言われている。親父も今日は前回同様本殿にお参りをしない。
真言密教。空海が命懸けで玄界灘を渡り長安から伝えた教えは余りに難し過ぎてその教えの厳しさは完全に否定されている。それでもその教えを信じる人。その多くは虚像?多くの教えが正しく伝えられていない。
般若心経もその言葉の意味は難しく語感を体感しないと「あるべき形」は理解出来ないのかも知れない。それにしても仏門も特権階級なのかも知れない?形ある物は全て無であり空であると言われても、仏教を学問として学ばなければわからないに違いない。
般若心経も釈迦の教えではない事を知る人は少ない。勿論、空海の教えでもない。空海はこの教えをただ唱えるだけで多くの人が救われると信じていたのだろうか?今、仏教界は全く人の心の支えにはなっていない。その厳しい現実を空海はどう教え諭すのだろう?同行二人?そんな物では無いだろう?(こら罰当たり)
隣はゴルフ場。ここはパットの練習グリーン。本コースに出る前にここで練習をするが今は誰も居ない。練習グリーンと言うには勿体無い気もするが、ここで確認するのはボールのころがりと曲がり方。ゴルフが出来なくなっても真剣に考えていた。
ゴルフ場の横からこの谷道に入る。初めて来た時は戸惑っていたが看板があるので間違う事は無い。直進するとゴルフ場。ハイカーは立ち入る事は出来ない。ここ迄はアスファルトの道だがこれからは山道。足に掛かる負担は小さい。心地好い。何度来てもここに来ると心が安らぐのは何故だろう?それはこの先を歩けば良く分かる。
少し歩くと森の先には住宅地がひろがる。この住宅地も全く知らなかった。高度経済成長の時に開発されている。今から40年前?もっと前なのかな?その当時の働き盛りの人達が今は高齢者。その事が意味する厳しい現実が殆ど理解されていない。
これからのビックビジネスはこの高齢化社会にどう対応するかに違いない。お間抜けなテレビが見向きもされなくなる。お間抜けな経済解説が見向きもされなくなる。これからは若者達だけでなく高齢者がどれだけストレスなしに生きれるか?その事が問われるに違いない。
その為には元気で生き生きと生きて行く。その活力が問われる?(さっぱり分からない)そのうち痛感すると思います。でもその時は手遅れかも。この先でNさんと携帯で1時間長話をする。携帯代の請求が恐ろしい。(アホ)スマホのホワイトプラン。通話仕放題ではない。(明日調べよう)いい加減にしなさい。
全て住宅地の庭です。それでも秋の風は吹いていた。この先バス通りに出ると左折。ハイキングコースも住宅地の中を歩いていると不審者に間違われる?でも大丈夫。一眼レフカメラを首に掛けているとその心配は無い?カメラを向けるとイチコロ。(コラ)
まだまだ続くよ。多田神社。遊んでいたので又、明日。
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