朝夕は冷えて来る。日差しは暖かいけれど。昨日の帰り。
奥の院参道。この道は多くの参拝者が多くの思いで歩いているが、実際に歩いて見るとその難儀さが良く分かる。それでもこの道を一歩一歩踏みしめながら歩いたに違いない。足の弱い人。歩けない人は元気な人に背負われお参りをしたのだろうか?
本当はこんな参道を誰もが期待するだろう?親父もそう思っていた。ところがご覧の通りの厳しい石段。それも整備された石段では無く置き石の階段。不安定。その道をどんな思いでどんな人達が歩いたのかと思うと、この道の重みが伝わって来る。
参道の入り口からこの道は狭い。ここは参道の三分の一の所。登りの人はこの道の厳しさを痛感する所。下りの人は後少しと思いながら安堵する所。ところがこの道の厳しさは下りの方が思い知らされるかもしれない。
「膝が笑う」良く言われる言葉だが体が楽になる反面、足元には注意をしないと怪我をする。親父もそのうちストック(トレッキング、ポール)杖?を求めなければならない。(その前に靴を買いなはれ)
足を痛めない為には足首と足に掛かる衝撃を軽くしないといけない。足の痛みを感じたら無理をしたらいけない。足は自分の手で擦ってやると嬉々として喜んでくれる。(オマケ)意外に知られていない事で親父が最近、足に疲れを感じる時、これをやる。
「タライ」にお湯を入れ(少し熱め)足首迄浸しながら足を揉んでやる事。これは安眠にも繋がります。人が生きる事、歩く事、生活をすると言う事は、足が第二の心臓でもある事を忘れている?煙草を止めて10年。これからはこの大切な足で10年。生きさせて頂きます。
どんなに嫌われても自己主張が出来る人間。それが出来る人がこれからの生き方の王道です。般若心経を完全に理解して「呪文」の様、暗示がかけられる人。そんなジジイになりたい。日常の問題を誤摩化さずに正面から対峙(たいじ)出来る。
そんな伝道師が居ても面白いかもしれない。身体と心の病気。それを解放出来る人が現在は居ない。(親父が知らないだけかもしれない)だから間抜けな政治と経済、人の生き方が求められているに違いない。株価が下がっている。
いずれ反撥に転じるとエコノミストは語るが「いずれ」とは何時?それを明確に語れる人は居ない。(アンタはどうだ?)親父は間抜けなエコノミストでは無い。間違いなく言える事はこれからの生き方が厳しくなる事だけは間違いない。この先も入り口迄ガタガタ道は続く。この道が参道?こんな道になったのは最近の事である?
この前の坂を下ると参道入り口です。奥の院参道。昔の人はこの汚さを見てどう思うのだろう?明治の初め迄は中山寺が管理していた左の雑木林は今は国有林。右側は参道の間際迄住宅地がコンクリートで迫っている。何たる無様。何たる管理のあり方。その原因は参道は中山寺の管理。雑木林は国有林。住宅地は民有地。それぞれの思惑が絡んでいる。
この平坦な道が参道と思われるがこの道は谷沿いの道。標識にルート名が書かれていないので何と呼ばれているのか分からない。親父が昨日登った道はこの道で奥の院参拝の常連さんはこの道を辿る?ただし途中で尾根を登る所が楽ではない。
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