関西も冬一番。長袖でもシャツ1枚では寒い。でも防寒の準備は出来ていた。
市役所前の銀杏がまだ青い。黄色い葉っぱが風に舞う時も遠くない?横目で追い掛けただけで用件を済ます。国保の支払い。親父の年金生活者でも一月の支払い16330円。介護保険料が7000円。「高い」と言ったら叱られる?
消費税値上げ分を社会保障費にと言うけれど、年金制度は破綻している?でも多くの有権者はそんな政策を何時迄支持するのだろう?消費税10%反対?しかし来年度の予算はそれを前提に組み立てられる事を知らないのだろうか?
関係無い?そうはイカナイよ。本日の目的地。先日引き返した猪名川道の駅の先を歩く。どれだけ?それは歩いて見ないと分からない。14時01分のバスに乗る。この次は16時01分。これでは日が暮れる。寒くならない内に帰って来る。
日生中央の駅から出発進行。このバス停も初めて。出発15分前に来ているので行列は一番前。平日だから多くは並んでいない。このバスの終点柏原迄の所要時間は50分。およそ40キロ弱。今日はどれ位歩けるのかな?精々4〜5キロだな。それで充分。そこ迄歩けば猪名川町も北部になる。親父が全く知らなかった景色が見れる。
バスに乗り込む時は冷たい風が吹いていたが歩き始めると風は止んでいた。バス停の名前は「万善」。人影は全く無い。車の通行料は多い。聞こえる音は車の走り抜ける音のみ。親父の田舎と全く変らない風景が体を包み込む。
ゆったりと歩きながら廻りの景色に眼を奪われていた。「無心になる」。正確に表現すれば、この道は親父の田舎より住宅が立派だった。しかも道に近い。ただ子供の姿は見たのは幼い女の子と通学の中学生だけだった。女の子は親父に手を挙げてくれたが中学生には無視される。
川の流れもゆったりしているがこれでも大雨の時が激流と化す。これで護岸工事が充分とは思えないが、それでも水害の被害は余り無いのかも知れない?この地域も高齢化が進み耕作地が放棄?されている。地方の再生?これ迄多くの言葉が交わされてきたが、地方の何処でも見られる光景は殆ど伝えられる事はない。この地域の農業も完全に崩壊してしまう時はそう遠くないに違いない?
立派な郵便局。郵政民営化とは一体何だったのだろう?「民で出来る事は官でやる必要は無い?」郵政民営化とはその程度の物?地方の郵便サービスを不便にしない?確かにそれは実現しているかもしれない。
ただ郵政事業を取り仕切っている役所が総務省に替わっただけだろう?郵政が民営化されても国の関わりは何も変わっていない?そうで無いとこれだけ山が近い場所でこれだけの建物は維持出来ない?
それ位の事が分からんかえ?結局郵政民営化で叩き潰されたのは労働組合だけ?国鉄民営化と全く同じパターン。それでこの国の経済はどれだけ立て直せたの?そんな問い掛けは何もされていない?それでもなお労働コストが高い?
バカ言っちゃいけないよ。どれだけの人がその利権を手にして薄ら笑いをしていると思っているのだろう?そんなオバカな有権者を育てたのは皮肉にも社会的責任を口にしているマスコミ?ただその思惑も何時迄もは続かない。
この整備されている道を歩いていると本当にその事が良く分かる。だからこそ今求められているのは「地方創生」?それも北朝鮮の拉致問題と同じトリック。自分達が撒いた種を自分達では刈り取れない。
拉致問題が最重要課題?そんな内閣を何時迄支持するの?いい加減にしなはれ?他に支持する政党は無い。確かに野党も政治屋さんだね。それでも是は是。非は非。是々非々の精神を捨ててはならない。政治をバカにするのは天にツバする様な物。自分に降り掛かる難儀は振り払わなければならない。(甘いね)甘くはねえ。
貿易の自由化交渉は決着?何処かの間抜けな新聞社がそう伝えているが、その具体的内容は何一つ知らされていない。それでも大筋で合意。当たり前だろう。誰でも関税障壁は取り除きたい。しかし、その結果が地方の田畑をこのような有様にしても関係無い?何たる貧しい生き方だろう?
自分達の食料品の購入が安くなればそれで問題は無い?この田畑が雑草に覆われたとしても関係無いと思えるのだろう?この町の活性化を誰がどう論議しているのだろう?そんな問い掛けはない。この風景は県道12号に道沿いです。いずれ建物が林立するのだろうか?税金を垂れ流しにして?地方創成?何処を見てそんな事が言えるのだろう?
ここから丹波篠山迄30キロ。車では30分の道程も歩くと2日掛かり。昔の人はもっと曲がりくねった細い道を歩いたに違いない。この先に今日は辿り着けなかった杉生(すぎお)の集落がある。ここが北摂と丹波地方を結ぶ交通の要衝だったのだろう?明日はそこ迄歩かなければならない。(今日引き返したのは林田北)ここ迄来ると国境(くにさかい)は近い?杉生から篠山迄の道も5キロを超える?
揚津(よしん)小学校前。学校の歴史は古いが校舎は建て替えられている。こんな立派な校舎で学べる子供達は幸せに違いない。都会の子供達とは違う学舎。そして友達。ガキ大将もハナタレ小僧もいるに違いないが、同じ地域で育まれる六年間はかけがえの無い時間に違いない。
都会で馴染めない子供達の受け入れはしているのだろうか?聞いてはいないので分からない。(閉鎖性の強い集落では無理かも?)創立130年を迎える伝統のある小学校。全校生徒60人足らず。これからは地域で盛り上げてほしい。その為には若者達が住み着いて農業と林業で豊かな生活を切開いてほしい。その為の施策が必要だが実際はどうなのだろう?
道の看板では小学校の表記がYoshinshogakko. しかし漢字の振り仮名は「ようしん」です。失礼しました。大事な耕作地が荒れ果てている。県道の横。道から少し下がったスロープの先で立ちション。(こら)少し歩くと立派な「ハコ物」がある。
ふるさとの館。今日は定休日で館内には入れなかったがトイレもベンチも解放されていた。トイレは済んだばかりだし(コラ)どうしょうと思いながら写真を撮っていると若者が立ち寄って来る。声を掛けようと表情を見るが無視される。「上等」。別に関心も無い。おにぎりをまだ食っていなかったので口にする。「美味い」
この仏様は木喰上人が90の時、この地を訪れて置いて行かれたと言われるている。最近の罰当たりな生き方をしている現在人が忘れてしまった「仏心」。今から200年も昔のこの地方は貧しい寒村だったに違いない。そこで上人は2つの寺と毘沙門堂に多くの木喰仏(もくじきぶつ)を残されている。まだ拝観していないが楽しみにしている。
この先は山間を抜ける。しかしその区間も少しの間だった。その先は道が広くなっている。それでも田舎の風景は何も変わらない。整備された道は少しの間だった。その先のT字路には何故か分岐の標識が無い。家に帰ってマップを見ると栃原と旭ヶ丘を結ぶ木間生−旭ヶ丘線。以前は山村だった山の奥深く人の生活は広がっている。ただ歩く事はないに違いない。さすがの親父もそこ迄の行動力は無い。
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