中山奥の院。参拝コース。舐めていました。到着時の喜びは久々の体験。
へろへろになって到着。初めて中山従走路を歩き通してこの地に立った時を思い出す。この奥の院は聖徳太子創建と言われているが、本殿は今年建て替えられているのでその面影は全く無い。それでも親父にとってやるべき事は唯一つ。水。水。水。
倒れ込む様に到着した境内には誰も居なかった。近くの立派なベンチに荷物を置いて水飲み場を探す。ところがこのお水。飲めなくなっていた、生水。現代の様に飲料水の水質基準が決まっていない時は、誰もが喉の乾きを潤していた水。
思いっきり柄杓(ひしゃく)で受けた水を口に含む。流石にイッキ飲みは出来ないが半分だけ呑み込んで半分は大地に戻す。看板にはウガイはしないで下さいと書かれていた。大きな岩の下から流れ出している水は山の水。全ての生命力の源。
人は今でこそ何処そこの水は飲めるとか飲めないとか罰当たりな事を言っているが、人間が生きている事自身が不浄であるとは理解していないのだろう?内閣改造で多くの課題を克服する?何タル言葉だろう?
政権交替で期待された多くの課題を「金融緩和」だけで為し得たと勘違いしているのだろうか?成長戦略とか地方の元気を取り戻すとか言う前に現状の経済分析。それすらも出来なくて何が変わるのだろう?その批判も出来ない言論のレベルの低さ。
久し振りにムカデの姿を見る。ムカデはゴキブリ同様人には歓迎されないと言われているが、その生命力の強さを久し振りに認識されられる。余談だが人間に踏みつぶされる事はあっても噛み付く事は余程の事がなければ心配は無い?
この前来た時はおにぎりを手にしていたので、奥の院到着の後、飲み物を口にして上半身はだかになり太々しい態度でおにぎりを食っていたが今日はそれも出来ない。大悲水を口にして一息を入れたら即、引き返し。
帰りは楽だと思っていたが階段で足元が揺らぐ。それでも足首を捻挫すれば痛みは半端では無く、動けなくなるので足元だけは気を付けていた。無事戻って来る。中山寺の自販機でミカン味の天然水を買う。一気に飲みたい気分とは裏腹に味を確認しながら飲んでいた。奥の院登る前とは反対に何かを成し遂げた満足感が全身に溢れていた。汗びっしょり。早くアイスを食いたい。
これからと言うよりこれ迄もそうだったが、この國の形は大きく変わる。多くの事が尤もらしく語られて多くの問題が立ち塞がる。それを乗り越えられる人。その前でたじろぐ人。その前でも自分は全く関係無いとその問題認識もない人。色んな人が色んな生き方を迫られている。親父も例外ではない。多くの事を語る前に自分の生き方を問い直さなければならない。今日は大阪は雨模様。でもまだ降り出しては居ない。今日も又、カッパをリックに詰め込んで昨日のリベンジをしなければならない。
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