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2014年9月30日 (火)

恥を知れ。公共放送。何事も無いと思っているのか?御嶽山の被災者。無念の思いは無いのか?

「新たな噴火の恐れで救助活動中断」今国会で自衛隊の海外派兵が検討されているが自衛隊は軍隊ではないのか?軍隊なら戦場で銃弾が飛び交う中で飛び出して行くのが任務だろう?親父は自衛隊の今回の御嶽山の心肺停止の人達の救出のニュースを聞き度に自衛隊の決死の行動に怒りを感じる。

こんな軍隊ならとてもじゃないが海外で戦争状態になっても戦う事は出来ない。自衛隊は軍隊ではないと言う人もいるが、彼等の任務はこの程度の事しか出来ない装備と訓練しかしていないのだろうか?

そうだとしたらこの軍事予算の大幅削減を求められて当然だろう?今回の救助活動に消防や警察では全く役に立たない。政府や行政の対応も全く話にならない。被災者の安否確認さえマトモに答えられない状態で自衛隊のトップは何をしているのだろう?

マスコミの事件の報道も聞くに堪えない。こんなニュース見たくも聞きたくも無い。「捜索再開の見通しは立たない?」何をとぼけた事を言っているのだろう?人の生き死にだけでなく心肺停止者の救出も出来ない。そんな事実を目の当りにしながら「定時放送」を淡々と伝えるお昼のニュース。この国は何時からこんな非情な国になったのだろう?この先の昨日の写真。本当はお見せしたく無い。今はそんな気持です。

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政治家や経済の指導者達。解説者、学者先生、マスコミの報道の責任者達がどれだけ無力か?どれだけの人が思い知っているのだろう?最近、下腹部の脂肪が気になっていたが実際はそうでは無い気がする。長くは生きられないのかも知れない?

それでも先日のこの山歩きはそんな親父の悲観的な思いを否定していた。最近自分の体の状態を医者任せで病院に行けば何とかなると思っているオバカも少なく無いが「人の命は本当に果敢ない」。その事を最近の災害で思い知らされている。

それだけでは無い。山を歩いていると自分の体調が良く分かる。昨日後数mで下に降りれると言う所で足を踏み外して転落。それでも一瞬にして体勢を立て直していた。そんな事が出来る人も多くは無いだろう?そう考えると人の運、不運も思い知らなければならないのだろう?

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長い下りを降り切った所。この先にもまだ小さな上り下りはあるがここ迄来ると一息つける。左はゴルフ場。すぐ横に管理道路があるがハイカーは出る事が出来ない。ゴルフが出来ない人には分からないが、ゴルフ場は何処から危ないゴルフボールが飛んで来るか分からないので、絶対立ち入ってはいけない。当然入れない。右には先日歩いた造成地があるがそこは森で遮られている。ここは横目で眺めるだけ。

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ここ迄来るとこの先の崖を下るとハイキングコースのゴールは近いが、まだ少し歩かなければならない。ススキが伸びて秋の訪れを告げているが、ここ迄歩いて来ると先の急な崖が降りれるかが分かる。どうしても駄目だと思えば無理はしてはならない。ただ、迂回路も平坦な道では無い。その覚悟が無いとこの先はガイドは出来ない。

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ここは真ん中を歩かないで右側に平坦な道がある。ただ坂道。低い坂道を何度も越えながら崖に向かう。人の生き方も同じに違いない。平坦な道には退屈し、いばらの道には悲鳴を上げる。悲鳴もあげられなくて押しつぶされながら生きて行く人も少なく無いが、これからの年寄りな間違いなく「漂流」する。

その自覚が無いからとぼけた生き方が出来るのだろう?連続ドラマの視聴率が20%を超える?そんな生き方が何時迄続けられるのだろう?(コラ)爺婆はいずれくたばる。それ迄に何か一つでも人の役に立つ事が出来るのだろうか?(その為にはもっと歩きなはれ)了解です。

消費の落ち込みは小さい?何をとぼけた認識しか出来ないのだろう?それだけ豊かな生き方をしているのだろうか?それはない。その事がこれから問われる。覚悟は出来ているのだろうか?関係無いと思っているのだろう?

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この先は崖。この鉄塔の間に「迂回路」に降りる道がある。但し標識は何も無い。親父は一度自分の眼で確認しているがこの道は迂回路ではない。恐らく昔の人はこの道を這い上がりながらこの道を「奥の院」に向かって歩いていたに違いない。それ程に厳しい道です。ただこの先の崖を降りられない人はここを降りるしか無い。

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萩の花に無事この先を降りれる様に祈念されていた。親父でも降りれるのだから大した崖では無い。先週仲良しの夫婦をガイドする事も出来た。足元に注意をして滑落さえしなければ安全です。それでも怖い。その恐怖感を打ち消す力。それは絶対的な自信。それが無ければこの崖は降りる事は出来ない。落ちたら完全にアウトです。日々の生活でも問われている事。その意識が無いから間抜けな生き方が出来るのだろう?

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この下は一気に切れ落ちて高度感はあるが高所恐怖症の親父でも怯むことはない。ただ真ん中は流石に怖い。左か右端をロープをたぐり寄せながら歩く。ロープも切れない保障は無い。崖を下る鉄則は足場を確保し姿勢を低くしてゆっくりと降りて行く。ロープは手掛かりにするだけ。重心を預けてはならない。

鎖場でもそれは同じに違いない。四国の石鎚山で救助のヘリを要請したバカが「楽しかった」とインターネットに投稿しているが救助活動の隊員は亡くなっている/こんなオバカは地獄に落とすしか無い。ところがこんなオバカが長生きをして優しい人が災害に巻き込まれる?何とも許せない。御嶽山は信仰の山?何たる皮肉な事だろう?無情を痛感している。

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