昨日の無事に感謝の参拝。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。美しさが漂う女性も最近は少なくなりました。女性の時代といくらもてはやされてもひも付きには全く関心はありません。(コラ)。親父の様な男の中の男の様な生き方をして来た者には、違う世界の女性を見せつけられている。全く不愉快。
女性だ、男性だ、そんな言い方をしなければいけ無い程に、現実は厳しいのだろう?その厳しさとは全く関係無い?政治と官僚の世界。民間の企業でも女性差別は御法度?男性差別は口にされない女性のリーダー達。何様だと思っているのだろう?
セクハラは男性だけのハラスメント?(いやがらせ)違うだろう。最近の女性も平然と嫌がらせをしているだろう?人格が疑われる様な差別用語。平然と口にしている政治家、高級官僚、経営者、管理者、組織のリーダー。どれだけ居ると思っているのだろう?横文字で言えばなんでも正当化されると思っているのだろう。バカタレが。
親父さん。その暴言。訂正して下さい。?親父は化石。ただの石ころです。気にしないで腹が立ったら無視して下さい。親父の様な性格は組織の一員としては完全に失格です。この歳になって自覚しても後の祭り。それでも現役の頃は堪えていましたよ。いじらしい程に。今になって考えて見ると何かのプラスになったのだろうか?これからその事が問われる。喜びなはれ。(嬉しくも何ともない)哀しいのかも知れない?
大師堂の中で頭を垂れて教えを乞うていた。弘法大師は暗闇の中で目を見開きながらただじっと見つめていた。「ただ在るが侭に生きなはれ」「今日ここでこうしていられる事に感謝しなはれ」そんな言葉は聞けなかったけれどそれだけで充分だった。
何かを期待すな。昨日怪我をしなかったのも何かの因縁。まだ何も為していない。これから次の時代を作り出す為に元気に生きなはれ?そう言われていたのかも知れない。大師堂の中は誰も居なかった。お大師様の写真を撮るのは禁止されていないが他の人はそんな事はしていません。そんな親父をどんな想いで見ていたのだろう?
頭を垂れて何も考えないで静寂の中に身をゆだねていた。川の流れに身を任せる?そんな生き方は出来なくなったが「不平不満をそろそろ卒業しなはれ」そう言われていた。何処かで聞いた事のあるお言葉。不平不満は多くの人が誤解しているが、親父的にはそれが在ったからこそ今も尚、自分が存在している。(屁理屈)
親父の足りない、間抜けで情けない事は、その先が見えて来なかった。最近、ようやくその事に気付く。今更手遅れとも言えなくは無いが、残された時をその事を忘れずに生きて行く。その事を問い掛けられていた。顔を上げると「迷いは敵。信念を捨てるな。」そう言われていた。ありがとうございます。体の痛みも心の緩みに違いない。
境内をゆっくり見ていると言いたい所だが本日の目的は大師堂のみ。階段を下りながら本殿の立派な伽藍に眼を見開いていた。この本殿は慶長八年(1603年)豊臣秀頼の命で片桐且元が再建している。徳川の世になってもこの観音様が大事にされたのは安産祈願のお寺として皇室にも支持されていたからだろうか?良く分からない。
今日は体調が良く無く足も痛いので「奥の院」迄のお参りは出来ない。そう思いながら足は山の中に向かっていた。今日は一番楽な道を途中迄。そう自分に良い聞かせながらふらふらと歩いていた。おかしな物で山の中に入ると足取りはしっかりして来る。
宝塚自然休養林。明治維新の後中山寺の所有林が国有林となり、現在は近畿中国森林管理局、兵庫森林管理署が管理している。日本の森林面積は国土の7割とも言われているが、その多くは昔から大切に育てられて来た。
ところが東南アジアの国々から安い木材が輸入される様になると、この大切な森林資源が価値を失う?この森には杉の植林された立派な森は無いが、この近くには箕面の森がある。その森も森林としての価値を失っている。
この貴重な森林をどう管理しているのか?殆どの都会人は知らない。これは日本全国共通の問題。森林破壊。森林がどれだけ大事な資源なのか?災害が発生しないと分からない。森の木は打ち捨てられホンの一部分の杉、檜の建築資材しか活用されていない。
こんな罰当たりな生き方をしているといずれ子供、孫達はその逆襲を受けるに違いない。それ位の事を学ぶ事が出来ないのだろうか?環境庁はこの大切な森林資源の活用をどうするのか?考えてもいないのだろう?
近畿、中国森林管理局。近畿と中国の森林をどんな体勢で国は管理しているのか?親父でも全く分からない。国の施策。行政の役割。もっと明確に知らないとこの国は間違いなく滅びる?
それでも地方創成?地方の産業の担い手を育てる?今迄、出来なかった事。やらなかった事、出来なかった事を人、金、物の流れで変える?」どんな顔をしてそんな事が言えるのだろう?
拉致問題を解決する?それと全く同じ事をやろうとしている。発想を変えろ。トップが声を掛けたらすべてが変わる?そんなに甘く無い事をこのお坊ちゃまは分からないのだろうか?第一次内閣の過ちを本当に学習していないのだろうか?それだけならまだ救えるが、過ちだとは思っていないのだろう?救い様が無い。?違うか?
この看板はは良く出来ているが正確で無い。この看板は森林管理局がやろうとしている事を宣伝しているのか公園内のハイキングコースのマップはどっちなの?先ずハイキングコース赤線なのだが右側の足洗川に延びているコースが途中で途切れている。このコース親父は登りました。登ったらアカンと言う事?マップにもならない?
右は谷。少しずつ登っているので谷は段々下になるが気持の良い森林浴?が出来る。森林は山頂近く迄言っても雑木林だが、街中の薄汚れた気配は無い。両側にシダが多いがこの程度でも心が洗われる。この谷の更に右側が尾根。東尾根コース。
と言う事はこの道は何コースと言うのだろう?暫く心地好い道が続くがこの先一気に左の尾根に駆け上がる。そこに休憩所がある。今日はそこ迄。途中から叔父さんと一緒に登る。親父より年上なのに足の裁きが軽やか。この上の「奥の院」の参拝。常連さん。月に25回前後の参拝をすると言っていた。親父には真似は出来ない。
よろけながら石段の平らな上を歩いていると右側の道を親父が軽やかに登って来る。他愛も無い言葉を交わしていると会話が続く。親父の後を付いて行くと色々ハイキングコースの解説をしてくれる。話の内容に嫌みが無い。さり気なくそれでも大事な事を押さえている。見かけによらず賢い。(コラ)
この急な登りを上がると休憩所。そこから奥の院迄1キロ。親父さんに礼を言いながら休憩。今日はおにぎり2個買っていたがこのコースの入り口で歩きながら食って仕舞っていた。お茶が残っていたので一息入れる。暫く休憩して引き返す。以前来た道を辿ると来た道との合流地点が気になっていた。少し遠回りをする。納得。
今日は見晴らしは良く無い。叔父さんは糸の切れた凧の様に一気に見えなくなる。暫く休んで息を整えてゆっくりと来た道を戻る。「奥の院」参拝コースと少し離れるがこの道が石段が少なく多くの人が歩いている。そんな感じが足元に感じられた。
一つには健やかな身と心を授かり、一つには後に続く人々への思いやりの功徳を積む。「わらじ」の奉納は3000円。早く安いと思える様になりたい。それ迄はただひたすらに歩くだけです。タウンシューズも2足目。もっと底のしっかりした靴を買わないといけない。(ガックシ)
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