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2014年7月 9日 (水)

天上ヶ岳で役行者と対話をしたのは一時だった。

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役行者に深々と頭を下げて引き返す。道案内では帰りは30分と表示をされていたが親父の足では45分。それでも明るい間に出発点に戻る事が出来る。登りは50分の表示だったが親父の足では1時間半。しかも何度も引き返す事を考える。それ程に厳しい道だった。

この道を歩く人は殆ど居ない?しかも滝道を歩いてこの道を歩くのは無理だろう?滝上の駐車場に車を置いて登る事をお勧めする。但しこの道からは車で滝に向う事は出来ない。駐車場から滝迄1キロ。この天上ヶ岳迄の入り口迄500mです。親父が次にこの道を歩く事は無いだろう?そう思いながら引き返していた。

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帰り道は当然来た道。案内標識を見ると来た道を戻らなくても府道に出る事が出来る。しかしその先は五月山ドライブウエイ。池田迄の歩く距離が分からない。車で走った時は20分足らずだった気がするが、歩くと12〜3キロ?来た道の倍?いずれこの道も五月山方向から歩くに違いないが今回は止める。それが正解だった。

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来る時引き返す事を考えた休憩所迄戻って来る。ここで引き返す事を考えたのは案内板が何も無かったから。この道を知り尽くしている人ならそれで良いのだろうが、初心者には不親切。ただこの道はそんな人が歩く道では無い。そう感じていた。

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ただ山道は整備されていた。この道は役行者、山岳信仰の昔から多くの人が歩いた道に違いない。それでの両側は険しい谷になっている。現在でも厳しい道を奈良時代の終りに役行者は自分の肉体が滅びる事をどんな想いで感じていたのだろうか?登りの時息絶え絶えの自分と恐れ多くも重ねて居た。その道を飛び跳ねながら降りて行くオバカが居た。

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良く見ると両側は国有林?ここを管理しているのは林野庁?では無かった。ネットで調べてみると「近畿中国森林管理局」箕面の森だけでなく全国各地の森林資源の価値が無くなっている?これも違う。森は生きている。その大切な森を放置しているからこんな有様になる。それでもこの現実を親父も知らなかった。

知らないと言う事はどう言う事になるのか?それがこの現実に違いない。森林の有効活用が尤もらしく叫ばれても現実を知らなければ何も改善はしない。環境破壊はここでも進んでいる。この豊かな環境をもっと大切にする為に今、出来る事。

その事を問われていた。この森にも里山ふれあいネットワークがあるがその活動実態を聞いて見る。そのお話しは又改めて。国、地方、行政とボランテイア、民間活力その役割と責任の明確化。その事を問い掛ける人は居るのだろうか?

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食事をした所迄降りて来る。直進すると大阪府ビジターセンター。でも来た道は右の谷筋に降りそこから府道の上を横歩きをする。この辺りに来ると流石に暗くなる。それでも登り口は近いと思うと足取りは軽かった。

最後の急な石段をロープに捕まりながらゆっくりと降りる。「一人では行かないで下さい」と言われた言葉を噛み締めていた。「こんな所で足を滑らしたら洒落にならない」車道に下りた処から滝道迄は1、5キロ。足は疲れていたが何とか歩けそう。駐車所の自販機で天然水を買い一気飲み。喉も乾き切っていた。

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