当面の課題を知れば自分は何を為せば良いのか?良く分かる?
駅前からここ迄およそ3キロ。蒸し暑い天気の中を馬鹿そのままに歩いて来たが目的地はまだこれ以上に遠い。気が付くと下着だけでなく上着の半袖も汗でぐっしょり。ただ気分爽快。(そうかい?)それでもこの先を突き進んで行く気力は既に失せていた。予定変更。この先の駐車場から右に降りる。そこには見慣れた展望台がある。
この先に駐車場があるが歩道らしき道はここで途切れていた。車道沿いの道が丘を登る。その階段らしき道も段差が高い。草は伸びて足元がおぼつかない。もっともこんな道を歩くのは初めて。2度と歩く事は無い?ここ迄そしてこの先を歩く人は本当に限られる。
この先に墓地があるが年寄りはとても歩いて来る事は出来ない。公共のアクセスバスはあるのかな?そんな事はどうでも良いのだろう?この山の良さが活用されていない理由が良く分かる。車が無ければここ迄は歩いては来れない事を歩いて見て良く分かる?
道の反対側の薄汚れたガードレール。このガードレールが歩行者の為でなく車の暴走停止の為?この道路管理管理者と行政の取り組みが良く分かる。車の危険性は認識しているが歩行者の安全は蔑ろ(ないがしろ)にされている事が良く分かる。
最近お間抜けなマスコミが尤もらしく口にする交通事故。脱法ハーブを吸って車を運転?酒を飲んで車を運転?車の売り上げでどれだけ民間人を危険に晒しているか?車の製造と販売責任は何も問われていない。
車は安全で便利な乗り物?ただこの時間でもどれだけオバカが危険な運転をしているのか?殆どの人は理解していない。車は走る凶器。その危険性を認識しないオバカがどれだけ居るのか?警察の取締も氷山の一角。しかもそのやり方が汚い。
駅前の駐車違反の車を見る度にムカついて来る。テレビで時々警察の特集があるが最近のお巡りさんは何処で何をしているのだろう?路上、巡回をする暇はどうして無くなったのだろう?近くの警察で聞いた事がある。
110番対応で手一杯?そう言えばパトカーは何処で何をしているのだろう?事故処理で手一杯?その現実をこのガードレールが指し示している?その反対に大阪ではアメリカ大使館、中国領事館の前には機動隊が10人以上常時張り付いている。守る人を間違えている事を彼等は全く認識していない。自分と愛する人の安全は自分で守る重大性を常に考えていて下さい。誰も助けてはくれません。それ程のこの国は間抜けになっています。
車を手にしていた時、この駐車場に車を停めてこの先の展望台に向っていた事を思い出す。先日は平日だったが駐車場にエンジンを掛けたままの車がいる。蒸し暑いとは言えこの非常識。こんなオバカが平然と車を運転している。
車は快適な空間移動が出来るが、その反対の「身の破滅」を教えてくれる人は殆ど居ない。自分が怪我をするだけではない。全く関係無い人を一瞬にして不幸のどん底にたたき落す。その事をテレビでは何も教えてくれない。
車の便利さと凶暴性。もう一度ドライバーは認識しても損は無い。車メーカーのコマーシャル。信長と秀吉と家康。トヨタさん。いい加減にしなはれ。飲酒運転撲滅。脱法ハーブ販売撲滅。交通刑務所の悲惨な実態。それ位の事を教えなはれ。
それが車社会の喫緊の課題。そんな事を伝えるマスコミはない。株価が騰がっている。アメリカ経済が順調?多くの人がその事を口にするがアメリカ株は金余りで投資家が買っているだけ。実体経済はそろそろ頂上?この夏は一気に調整局面に入る。
そんな見通しは出来ないのだろうか?親父は株を手にしていないからどうでも良いけれど?(そんな事は無い?)アンタの年金も株式市場で運用されている?年金も株式市場で運用益を出さないとこの先の見通しが厳しい。そんな政策を誰が指示しているのだろう?公務員の親方日の丸体質は何も変わら無いくせに。
公務員の身を切る改革はどの程度進んだのだろう?その事を問う人も居ない?どうして?そんな事は知らなくても生きて行けるからだろう?大阪のユニバーサルジャパンでハニーポッターの社会が実現?その開場を待ち兼ねた多くの人がニュースになる?大阪も本当にオバカになりました?
そんな豊かな生活が出来る人がどれだけ居ると思っているのだろう?公共の電波ではそれ位の問い掛けもしなはれ。遊園地がどんなに元気になって内外の入場者が多くなっても大阪経済はじり貧。そんなトホホを関西のマスコミはとっくに無視している。
厳しい堅実を変えないとマスコミの役割は「オチャラケ」で生きて行くしか無いのだろう?その事を認識しているのだろうか?尤もらしい顔をして事故、事件のコメントが出来なくなる。その事も全く関係無いと思っているのだろう?
先日東京ドームのバックネット裏でオバカな女性ファンがカップルで弁当食いながら野球を観ていた。ペナントレース首位の巨人は最下位のヤクルトに大敗。舐めたらアカン。あのドームを埋め尽くした巨人ファン。勝負の世界はそない甘いもんやオマヘン?(そんな事はどうでも良いのだろう?)今日勝てば良い?その程度のもんだろう?
日常の世界はうっとおしい事が少なく無いけれど「全く気にならない」と言われる人も少なく無い。人の生き方はどうでも良いけれどこの世は多くの人との関わり合いで成り立っている。その事が分からない人も少なく無い。そんな苛立も誰も居ない展望台の道を歩いていると全く気にならない。人から言われなくてもそれ位の生き方をしなければならない。その事を小鳥が教えてくれる。
懐かしい葉っぱを眼にする。田舎でお袋が「まんじゅう」「水餅」を作る時取りに行かされた葉っぱ。この弦の葉っぱを大阪でこの歳になって久し振りに眼にする。田舎でも何処にでもある様でなかった。見つけた時は眼を輝かしていた。あの頃の懐かしい思いが一気に甦る。
遠くに大阪伊丹飛行場がスモッグに霞んでいる。展望台に腰を掛けてぐっしょりと汗をかいた半袖を脱いで下着で風に吹かれていると何とも心地好い。ここからは天気が良ければ淡路島、大阪平野と和歌山の境、六甲山山裾の神戸迄見通す事が出来るがそんな日は最近は秋の台風一過の時でないと眼にする事は出来ない。
帰りは急な階段が多い一番登るのに負荷が掛かる「高原コース」を止め森をゆっくり抜けるコースを歩く。この道も五月山の里山を守るボランティア活動の人達が整備しているが、この地域の高齢者は殆ど歩けない。(理由?)
最近の高齢者は車が無いと出歩く事が出来ない?これからの時代をボケずに生きるには足腰に負荷を掛けながらどれだけ元気に山を歩けるかだろう?そのうち間違いなく歩けなくなる。その時はブログも書けなくなるに違いない?
(その心配はありません?)どうして?(文句が言えなくなれば生きてはいけない?)確かにそうかも?でもその時はどんな生き方が出来るのだろう?老の時を意識する。そんな覚悟が求められている。(まだ早い?)まだと思っている間が幸せな時かもしれない?ボケると言う事はそう言う事かも?
里山で生きる。老の喜びが満喫出来る。それは実は限られた人に与えられた最高の贅沢。親父も間違いなくそんな生活は出来ない侭に、特別介護施設で失意の思いで息を引き取るに違いない。そう成らない為に求められる絶対的な条件。
それは健康で自活出来る生活。その為にこれからの生き方が問われている。介護保険料をいくら払っても介護を人様におすがりする事は出来ない。その事をどれだけの人が理解しているのだろう?長野の年寄りが健康で長寿を全う出来る地域作り。
それが全国展開しないのは何とかなると思っているトンデモナイ勘違いかも知れない。行政の実態。政府の組織だけをどんなに大きくしても問題は解決しない現実が知られていない。親父も本当は何も知らないのかも?
高齢化社会、少子化社会。担当大臣が生まれて久しいが状況は悪くなるだけ?その原因は厳しい現実を余りに知らない生き方だろう?7割の企業が法人税を払わなくても成り立つ社会。全国知事会議が長崎で開催されて何を論議しているのだろう?東京オリンピックの支援?財政破綻の地方が東京オリンピックを支援する?何たる皮肉な事だろう?
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