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2014年7月16日 (水)

昨日の続き。最後にものを言うのは何?それを摑みなはれ?

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滝道から五月山に出るにはこの谷を登り詰めればすぐと思っていた。ところがそうでは無かった、谷を登り詰めるのは近くの五月山の散歩コースに「杉谷コース」がある。それよりもしんどいとは覚悟していたが実際はその先が長かった。その案内がほとんど分からなかった。

この道を再び歩く機会は無いと思う。それ程に厳しい道。不気味な不快な道だった。ただ貴重な体験。自分の体力の衰えは気力だけではカバー出来ない事を痛感する。世の中の出来事も同じだろう?毎日タダで手にする情報。これが実に不正確。自分達に都合の悪い事は何も伝えていない。その貴重な体験でした。

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ここが谷の登り口。右に大きな砂防ダムがあるが案内板は初めての人には良く分からない。この谷を登る目的は五月山に抜ける事。その目的が実に「くだらない」事をこの時、理解出来る術を何も持ち合わせていなかった。この地図では良く分からないがこの谷を登り詰めても五月山の道は遠かった。

何度も不安な気持になるが看板の矢印は途絶える事はなかった。しかしその看板の案内に「あと何キロ」の表示が無い。本当に立派な道案内も実は大事な情報が抜けていた。この道の両側には国有林の杉林が植林されているがその価値は無きに等しかった。「水源かん養、保険保安林」その意味する処を親父も知らなかった。

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覚悟を決めて登り始まる。正解だったのは手にして来た握り飯とシャケの味噌焼を立ち食いした事。座って景色を楽しむ余裕もなかった。最初に眼にしたこの光景。林野庁の地方行政機関森林管理局の実態を知る人は殆ど居ない。

山は崩壊していた。ここはそのホンの一部分。谷に落ちる崖が崩れている。この光景は全国何処でも目に出来る。環境省?この行政機関が全く無力な事はこの現実を知らない?もっと山を歩きなはれ?それも自分達は関係無いと思っているのだろう?

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道なき道の様ですがこれから谷に沿って登る。杉が少なくなり岩山の中に根を張り巡らした雑木が多くなる。杉を植林した先人の思いがその木が成長した時、皮肉な事に根こそぎ崩落する。その対策が日本各地の山で行なわれるには当然無理です。その管理と予防。森林資源の有効活用。

その事が全く忘れ去られた時、土石流と天災の恐ろしさを痛感するのだろう?都市で生きている人はその事は全く分からない。関係無いと思っている。しかし人の生き方は日本全土を覆い尽くしている森林に左右される事を忘れてはならない。森の逆襲。その事をこれから思い知らされるに違いない。

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谷が段々浅くなる。当然この谷にも砂防ダムがあるから道は整備されている。その道も所々崖が崩れている。この道は滝道の叔父さんが途中で通れなくなっていると言っていたが、大雨が降るとその度に誰かが整備しているのだろう?

その看板をこの先で見る。しかしこの山を管理しているのは林野庁の出先機関森林管理局?その看板は何処でも見る事は無かった。誰がこの森を管理しているのだろう?そんな事を思う人もいないのだろう?「手が行き届かない?」「予算が限られている」「優先順位をつけて管理している」確かにそうだろう?その現実を誰が認めているのだろう?その事を日本各地の山は私達に問い掛けている?

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そろそろ谷を登り詰める。そう思ったのも間違いではなかった。しかしこの先ドライブウエイに出るには地獄を見なければならなかった。それでも能天気な親父は喜んでいた。この先二手に別れる道がある。当然左だろうと感じた実感は正解だった。

ところが看板は右。首を傾げるが左に行くとゴルフ場がありその中を通り向けて五月山に向かう道は無かった。結局右を大きく迂回。この道が半端ではなかった。この時マップを手にしておればどうだっただろう?それでも初志貫徹(五月山に出る)していただろうか?

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この森林資源を後世に残して行く。その取り組みを私達は「森林管理局」にお任せしている。その事すら全く認識していない。九州大分の豊かな杉や檜の森も今は後継者も無く荒れ果てている。

大分日田の豊かな森もその価値を失い政治家はその林道の費用を東北大震災の復興費用を流用させている?違うでしょう?どんなに林道を整備してもその森に価値が無ければその林道も価値を失う。ここ箕面の林道も今は通行止め。

国有林管理と関係者だけの道になっている。そんな事は関係無いと思っている。森林資源の価値がこれほどに毀損しても国家の未来は変わらないと思うのだろうか?この親父が歩いている「落合谷」は田舎の山道以上に荒れ果てていた。故郷の山や川も今は同じ風景に変わり果てているのだろう?里山資本主義?中国山地の取り組みが全国知事会で取り上げられる事はあんのだろうか?(ある訳が無い?)

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谷を登り詰める。左に行くと思いながら看板を良く見ると五月山ドライブウエイは右。この看板を見た時に嫌な予感がする。その予感は見事に当たる。右は先日歩けなかった天上谷。この谷から天上ヶ岳への山道が近い?と言う事はまだ奥に進むと言う事?その思いは一瞬だったけれど正解だった。五月山メチャクチャ遠かった。ただひたすらに歩く。それだけの体力は残っていた。

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この看板を見て一安心をしていた。ところがこの先予想していた展開とは大きく違う。この山を抜ける道は予想外に遠かった。見知らぬ山。見知らぬ土地を歩く時には距離測定が出来るマップが必要。最近都市部では携帯でマップが見れて所要時間が分かるが山の中ではそれが出来ない。身の危険は感じなかったが体に掛かるストレスは小さく無かった。

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谷を登り詰めているので快適な道が続く。この道は尾根の道を拡げている。両側は谷。しかし杉の森は間伐されているので木漏れ日が差し込んで森林環境も良?ただこの道も長くは続かなかった。微妙に登ると感じた先に一つ目の登りが待っていた。

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京都大阪森林管理事務所?箕面森林事務所?初めて見る管理事務所。電話で問い合わせてみると丁寧に疑問に答えて呉れる。しかしその実態の多くを知らない。知らないから生きて行けるのかも知らないが、これからはそんな生き方をしてはならない。

それがこの森を見ながら痛切に感じた事でした。どんなに安倍さんがこの国の人々の生活を守るともっともらしい事を言っても国土の三分の二が森林。その森林資源の活用がどうなっているのか?考えて見ないといけない。

それも出来ないでエネルギーの有効活用?福島の教訓は生かされる事は無い?そんな無策が許されるのだろうか?この国はそれ程に歴史に学ぶ事が出来ないのだろうか?世界一厳しい安全基準。そんなものはある筈も無い。

その事は福島の現実を見れば良く分かる。それ位の事が分からなくても生きて行けると思っているのだろう?その事を思い知らされる時は遠くない?遠いとは全く考えてもいないのだろう?何たる軽薄な考え方?そうでないと生きて行けない?

そのパソコンだって電気で動いている?電気の発明、発見は國の形を大きく変えているが原子力発電だけは何時迄も続ける事は出来ない。その事は忘れてはならない。原子力発電の大きな間違いを痛感した現在の多様なエネルギー問題。その事を考える事が出来なければ国の未来は語れない?(あほやのう)そうかな?

 

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正面に又、峰が立ち塞がる。ここは大ケヤキ前。右に大きな大木が親父を見下ろしていた。「まだまだ先は長い」「心して歩きなはれ」凛として高く枝先を延ばしていた。樹齢100年?親父が100迄生きる保障は全く無いがこの樹があと30年生きる事は間違いないに違いない。

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大ケヤキにパワーを貰い前を見ると山道が正面の坂を登る。「嘘でしょう?」嘘ではありません。道がちゃんとあります。別にこれ位の坂は気にならないと平静を装ってはいたが内心当てが外れる?

勝手に平坦な道と考えていたのが間違い。ところがこの坂を登り切ってもこの先にもっと急な登りが待っていた。しかし進むしかない。ここから後戻りは全く考えられなかった。多くの人がこの道を歩いているがそのボヤキは殆ど無い。本当かい?

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暫く尾根道を歩く。これでやっとドライブウエイに出れる。そう思っていた。甘い。信じられない事にもう一つの登りが待っていた。そのつづら折りの坂を登りながら10年以上前に土方仕事をした四国窪川と北陸敦賀の山を思い出していた。

窪川は秋だったが敦賀は厳冬の2月だった。あの頃の難儀を考えるとこれ位の登りはお気楽そのものだった。しかし焦りを感じていた。「これで道を間違えていたらどうする?」その不安はご無用だった。標識は間違っていなかった。

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いきなり標識が出て道は間違えていない事にホッとしても心は穏やかでなかった。箕面の山の深さを思い知る。「この豊かな森がどれだけ森林資源として活かされているのだろう?」そんな事を問い掛ける人は殆ど居ない。

この道を歩くハイカーは案内標識の整備を求めても森林資源の有効活用など考えていない?その事を何時迄続けられるのだろう?政府と経産省の原発再開の政策。福島だけの教訓ではその愚かさを学ぶ事は出来ないのだろうか?これは政府だけの問題では無い。その事が問われていた?もっと森林の活用を考えよう。その思いを強くする。

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何処迄続く登り坂?しかしこの時は完全に開き直っていた。もっともっと過酷なジャングルを重装備をして行軍したこの国の陸軍。あの過ちの教訓を最近は「自虐的歴史認識」と平然と言い放つ評論家、解説者も少なくない。

ビルマ(今は軍事政権が国名をミヤンマーに変えている。日本政府も承認)インパール作戦の悲劇を語れる知識人も少ない。この国が他国民だけでなく自国民の多くの人に堪え難い苦痛を与えた過ちをどれだけの人が知っているのだろう?

アメリカと軍事同盟でこれからも連携強化?アメリカと敵対関係になった過ちはどう語り継いで行くのだろう?山道を歩いていてもそれ位の事が考えられるのは親父の愚かさ?かもしれない。

親父の親父と一緒に見た「村の巡回映画」ビルマの縦琴。親父は何も語らず何も教えてはくれなかった。ただつぶやいた事。「参謀が悪いと戦いは負ける」「参謀は前線には立たない」。あの言葉は忘れていない。職業軍人。戦艦の砲手だった親父の無念さは生き残った事だったに違いない。

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ようやく出口は近い?この標識の間抜けさは距離表示が無い。ただ感覚的にこれより登る事は無い。箕面森林恐るべし。親父はまだその一部分しか歩いていない。これからこの森を制覇した時、しみじみとこの国の歴史を語れるに違いない。

それでもこの森はその愚かな行為をたしなめる事は無いに違いない。それ程に大きな可能性を秘めている森でした。その事を実感出来た事が最大の喜びでした。この先やっと車道に出る。その道が本当に遠かった。

車道を歩き始めて足が上がらなくなる。四国遍路道で泣きながら足のマメを嘆いていた遍路を思い出す。人生は重き十字架を背負いながら歩いている事を忘れてはならない。最近たるんだ生活をしているがその警告だったのかも知れない。

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出口のようらく台園地に到着。予想外に狭い空間。ところが驚いた事に(ようらく台 箕面)で検索して見ると凄い人がいる。とても真似は出来ない。親父が泣き言を言ったこのコースを軽く制覇し、親父とは逆の車道を少し歩いて先週親父が歩いた天上ヶ岳、その前に歩いた林道才ヶ原線を踏破している。それが4時間前後の道?その脚力恐るべし。しかし親父が歩いた道も侮るなかれ。本当に良くやりました。

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やっと車道に出る。階段を振り返りながら一礼。再びこの階段を踏み締める事は難しいだろう?この道は本当に登りはしんどいが心休まる道でした。(うそをつけ)しかしここ迄のアクセスが全く無い。車の送迎サービスが必要になる。今度来るとしたらタクシーか?(アホ)駅迄の距離は6キロ弱です。6キロの道を歩いてこの山道を歩く事は無いに違いない。

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アスファルトの道を歩いていると急に足が上がらなくなる。「うそだろう?」と思いながら意識して歩いて見ると感覚が無くなっている。人が歩く時は何気なく足を上げて歩いている事を思い知らされる。足が上がらなくなると引きずるしか無くなるのだろうか?「どうする?」一瞬真剣に考える。動けなくなったら通りがかりの車に乗せてもらう?馬鹿な事を考えていた。立ち止まり一息入れると回復する。流石です。

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暫く歩くとゴルフ場。情けない事にそこの車(従業員の送迎バス)に乗せてもらう事を考えていた。現役の時ゴルフ場に車で乗り付ける時に感じていた優越感は何処にも無かった。それでも淡々としていた。若い頃、まだゴルフの面白さを知らない時に感じていた侮りの気持は無かったが何とかここ迄歩く事が出来た脚力に感謝していた。

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西方浄土の役行者が無事五月山高原コースの展望台に立つ事が出来た親父に労いの言葉を投げ掛けていた。歩いた距離は親父にとって長い距離でした。しかし多くの事を知る事が出来ました。一番大切な事。それは口先だけの誤摩化しでは無く10キロは楽に歩ける脚力。近くにこんな素晴らしい修行の道がある事に感謝していました。

 

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