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2014年7月29日 (火)

大阪も熱波は一段落。暫くは快適?それは無い。その事を思い知らされていた。

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昨日の従走路。快適な平坦な道は長くは続かなかった。「これでもか」「これでもか」と小さな坂が待ち構えている。しかし左下には住宅の造成地。右にはゴルフ場が見える。簡単に降りられそうで降りられない。人生の嘆きと苦しみが思い起こさせる。「この坂を越えたなら幸せが待っている」それは嘘でした。その先に待ち構えていたのは到達点の分からない長い長い道程でした。更に山を下る時に道を間違う。

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振り返ると歩いて来た道が分かる。目的の中山頂上迄3つのピークを越える。この道はハードだったけれど良く考えて見ると、事前の知識が全く無かった。山歩きの必需品はガイドマップ。それが無いと事前の予想が大きく変わる。下を見ると人々の生活はあってもこの道にそんな余裕は何も無かった。もう一度歩くのは無理だろう?

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ここ迄登りが続くとうんざり。それでも最初の壁がそんな弱きを叩き潰していた。息切れも無くただ黙々と歩いていた。急な登りも長くは続かない。登り詰めると平坦な道。でもそんな道も長くは続かない。一気に下る。行き交う人も無くそれでも横のゴルフ場を見ながら無人のコースに溜め息を吐いていた。流石にこの暑さではクラブも振れない?閑古鳥が鳴いていた。

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こんな素晴らしい稜線の道もある。涼しい風が心地好い。足元の柔らかい感触が何とも言えない。京都鞍馬から貴船の道を思い出す。でもあの道もアップダウンがきつかった。それでも道程が全く違う。この道は健脚向き?親父には無理だった。(偉そうに人の批判は出来ても全く情けない)でも所詮そんなもの。その事を思い知らされていた。この先まだまだ続きます。案内板が全く無いので心細い。芥川龍之介の短編小説「トロッコ」の少年の気持をを思い出す。

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こんな案内板が一番腹立たしい。意味が無い。こんな看板は見なくても分かる。一番知りたい情報はここからの距離と時間。そんな事は自分で学習しなさいと言われていた。素晴らしい従走路。しかし5時間掛かります。とてもお気楽には歩けません。

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この先両側に金網のネットがつながるが不気味。他の人が何の為のネットかと疑問を呈していたが山の所有者が立ち入りを拒否している。そのネットが延々と続く。それは正に無言の圧力でした。せめて優しいコメントを書けないのだろうか?目的地は近いと感じるだけで先を急ぐがこの時足が文句を言い始めていた。「後どれ位?」子供が小さい頃に言っていた言葉が実感として迫る。

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やっとしっかりした標識が出て来る。最高峰迄600m。でも下山する事を考える。迷う事は無かった。これが正解。ここでは明るかった景色が暗くなる。この先奥の院迄1200m。この道が無茶苦茶長く感じられた。疲れていたのだろう。

ところが駅迄の道はそこから又、遠かった。折角広い道に出たのにその道で道に迷う。シャレにならない。2駅先のその又先に向かっていた。その道が工事中。親父が考えていた山道では無かった。

地方の林道?しかも工事中。馬鹿野郎。途中で又、訳の分からない山道を3キロ強歩く。道が暗くなる前に谷を抜けないと。そんな事も考えていなかった。その谷道は整備されていたが歩く人は山林管理者?一般のハイカーに出合う事は全く無かった。

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「そんなに遠いのか?」これが実感だった。駅近くの中山寺から遠くても1キロと考えていたのでがっかり。それだけでは無かった。この先奥の院の立派な建物を見て道を間違える。この看板で見ると駅から山頂迄往復で8キロ。昨日は間違いなく10キロ以上山道を歩いたに違いない。それでもこれだけでは終わらなかった。

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この看板がおかしかった。道が違う。清荒神の駅は目的の中山駅の2駅先。宝塚の手前。この事にこの立派な道で誤摩化されていた。この道なりに歩いて行けば駅。そう考えていた。ところがこの道は参道では無かった。駅とは平行に走る林道。工事中だった。そんな標識は何処にも無く途中で山道の案内が出る。馬鹿野郎。

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疲れてよろけながら歩いていた。しかし山側に体重を掛けていないと谷側に落ちると家には帰れない。その事だけを気にしていた。幸い親父の危機管理の回路は壊れていなかった。これから多くの年寄りが問われる己の生き方。年寄りだけでない良い年をした大人達。青年、若者達にも問われる生き方。

長崎のオバカなガキが「人を殺してみたかった」とか言っているが人の生き死の尊厳が理解されていない。こんなガキにも人権が有るのか?餓鬼、畜生にも劣る生き方しか出来ない子供に育てた親の責任。そんなガキがこれから死ぬ迄背負い続けなければいけない責任。そんなものは無いとでもオバカな人権家は言うのだろうか?殺された人の人権を何と考えるのだろう?何時の世も自分を守る力は危機管理に違いない。

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最後の坂を見上げながら苦笑していた。本日の苦難の道もこれで終り。目の前には住宅地と素晴らしい夕焼けの空が広がっていた。しかし安心するにはまだ早かった。最後の森を抜ける時、落ち葉ですってんころりん。思いっきり尻餅をつく。幸いな事に背中のリッックが体重を支えていた。頭に上げていたサングラスが吹っ飛ぶ。

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この先の森で足を木の根っこに足を引っかける。その時は転ばなかったがその時にサングラスを落としたのかも知れない。今日これからここ迄もう一度歩いて来ます。この上迄は上がれない。ここは気分の良い見晴らしが出来る丘でした。

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ここが出口。正面の坂で足を滑らす。この時はサングラスをなくしている事に気付かず。でもこれは今回の山歩きの教訓に違いない。疲れた山歩きが親父に教えて呉れた事。その事をこれからに生き方に行かさなければならない。

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山本から中山観音の従走路。駅からこの山が4キロある認識が足りなかった。親父の住んでいる池田の五月山迄と同じ感覚を持っていた。中山山頂667m。この高さは3000m級の山に比べると比較にならないが、街に近い事を考えると侮る事は出来ない。

東京浅草のスカイツリー。その事を考えるとこの山の凄さが理解出来る。帰りの電車でその事を考えていた。これから人の生き方が問われる。これ迄と同じ生き方をしていると哀れな人生が待っている事を思い知らされるに違いない。

それでも自分の生き方を変える事はむつかしい。口先でオチャラケな生き方をしていたら何とかなると思っているのだろう?その事を思い知らされていた。今日は土用の丑の日。鰻は食えないがもっと自分を鍛えて自分の足で厳しい試練に立ち向かわなければならない。(偉そうに言うな)失礼しました。

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