新聞に5%の軽減税率?どんな顔をしてそんな事が言えるのか?読売。読んでいないけれど?
読売新聞。日テレ。新聞、テレビが日本の民主主義を支えている?報道の自由を確保している?朝日新聞の偏向を声高に叫ぶ人は居ても読売、フジ、サンケイグループの保守を口にする人は多くは無い。
ただ親父は新聞は読んでいないが読売のテレビで見るのは野球中継だけ。それも音声を消して見ている。それだけオバかな番組制作。それでも報道の社会的責任なんて全く意識していない。そんな批判は無いのだろうか?
テレビの番組内容を見て見なはれ。何処にどんな価値を見出すのだろう?オチャラケ番組を平然と垂れ流しながら何時迄もそんなオバカなテレビを見てくれると思っているのだろう?野球もビリ2チームを相手に間抜けな試合をしている。
7月末の暑い昼下がり。参道を歩く人は殆ど居ない。昨日夕暮れに歩いた商店街。昨日、無くしたサングラスを探しに行く。
無茶苦茶に暑い。しかし親父にとってこの程度の暑さは体の汗を感じて汗臭いだけ。若い頃の汗はそれ自体が夏そのものだったが。この歳の汗はその香しさが無い?それはそれで仕方が無いと思うしかないのだが、せめて気持だけでも爽やかでありたい。
正面に昨日歩いた従走路が見える。こうして望遠レンズでアップすると先日の難行苦行が良く分かる。この道は一応ハイキングコースになっているが、もう少し知識を深めないと歩けない。管理事務所は何処だろう?無いのかも知れない?
左はお墓。六道の石碑がある。
昨日、見事に尻餅をついた所。昨日は薄暗くてサングラスを探せなかったが、今日は明るい。間違いなくここで頭に掛けていたサングラスを落としたと確信していたが、いくら探しても見つからない。
仕方が無いのでこの坂を登りその上で躓いた所でも探すが見当たらない。怪我もしなかったのは何よりと思いながら「親父の身代わりになってくれた呉れた」と思いながら引き返す。それでももう一度と思いながら滑った場所を確認する。
窪地の細い木の根っこを愛おしみながら足で擦っているとあるじゃないですか。「よかった」見つけられて良かった。そう思いながら諦めなかった自分の執念に感動の言葉を口にしていた。今でも若い頃と何も変わらない執念。何度も悔しい事をしたが今日の喜びはひとしおだった。「探しに来て見つける」中々出来る事ではない。
坂道にもう一度眼をやりながら満足の思いが暑さを吹き飛ばしていた。青葉が夏の暑さに少し紅葉している。今年の夏は例年以上に暑いとか異常気象とも言われるが、人間様の変化の大きさは口にする人が少ない。司馬遼太郎から問われた人としての優しさ、思いやり、人に対する思いやり。その言葉を信じる人も少なくなっている。
関西の人はこの名前は知らなくても「清荒神」で通じる。このお寺の言われは看板を読むと良く分かる。その看板をズームアップする。正月の初詣の時は身動きが取れなくなる。夏の暑い熱気がここには無い。じっとカメラを構えているとチラホラとカップルが参杯に訪れる。何を祈願するのだろう?その意味が分かる?
あなたの大切な人を思いながら大切な事をお願いして下さい。亀も頻りにその事を主張していた。あなたの大切な人を思いながら願う人はどれ位居るのだろうか?人が人を愛する事。それは男女の恋愛感情だけでなく人が人に対する慈しみの心。その事が問われている事を亀が教えていた?
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